女優の浅丘ルリ子さんは先日、初の自伝『女優 浅丘ルリ子 咲きつづける』(主婦の友社刊)を出版。その中には、石坂浩二(72)との結婚、離婚についてもつづられている。
浅丘さんは、’71年、テレビドラマ『2丁目3番地』で共演した石坂浩二と結婚した。だが、実はドラマで共演する前に、友人の加賀まりこ(69)から、「ルリ子さん、石坂ちゃんが大ファンだって。一度デートしたいと言っているからしてあげて」と言われていたという。
「当時私は30歳で『そろそろ結婚してもいいかな』と思っていたし、石坂さんは『あなたは女優だ。結婚しても仕事を選んで女優を続けてください』と言ってくれましたから。それに彼は趣味が多彩で、とても博学でしたから、一緒になれば自分を磨くことができて、高めていくこともできると思ったんですね」(浅丘さん・以下同)
石坂の趣味のひとつが絵を描くことで、二科展で何度も入選しているほどだった。結婚から5~6年たったころ、石坂が「アトリエをもちたい」と言い始めた。当時住んでいた家にはそれだけのスペースがなかったため、別に部屋を借り、石坂はそこで寝泊まりするようになった。
「そのとき私はふっと『ああ、そういうことなのね……』と思ったの。そうしたら案の定“彼女”がいたんです。結婚している間に何度か同じようなことがありました。最初のうちは腹が立ったし、つらい思いをしましたけど、そのうちに『熱が冷めるまで放っておこう』と思うようになりましたね。人の感情は止められませんから」
そういう状態がずっと続いていたある日ーー。
「彼から『いつも家にいてくれる人と一緒になって、子供もほしい。母も引き取って一緒に暮らしたい』と言われました。最初は驚いて動揺しましたけれど『そうか……。彼には、そういう人がいるのね』と思って、最終的には『わかりました』と言いました。ただ、ひとつだけお願いしたんです」
別々に離婚会見を開き、互いに言うことが違って、マスコミに騒がれることは絶対に避けたい。そこで彼女は「2人そろって会見をしたい」と頼み、石坂も了解した。最後の話し合いから3日後の’00年12月27日に離婚会見は開かれた。
「そのとき記者の方から、石坂さんに、“新しい女性”の存在について質問がありましたし、私も、話し合いの中で『そういう方がいらっしゃるんでしょ?』とたずねたことがありました。でも、彼は最後まで『いえ、そういうことではありません』と。石坂さんは離婚の会見から5日後に、今の奥さまと入籍なさったわけですけど、女性の存在を最後まで否定し続けたのは、彼の私に対する思いやりであり、優しさだと今でも思っています」
結婚生活30年目の離婚。しかし浅丘さんにとって、石坂との生活は、得たものばかりで、失ったものは何ひとつなかったという。石坂からは、絵のこと、星座のこと、料理のこと、「それに、女優と家庭の両立がいかに大変か」まで教わった。
「ですから、石坂さんにはとても感謝しています。彼から『別れたい』と言われなければ、今でも一緒にいたかもしれません。子供については、私は、ちっちゃいお子さんを見ると、飛んでいって抱き締めちゃうほど好きなんです。でも、結婚はしても、自分が母親になることは考えもしなかった。それくらい女優という仕事に没頭していたんです」