’53年、NHKと日本テレビが開局。テレビ時代が幕を上げた。今年はちょうどそれから55年の節目の年。これまで民放ドラマは数々の忘れられない作品をお茶の間に届けてきた。当初はVTRがなく、ドラマもすべて生放送という制約もあり、海外ドラマの吹き替え版に頼っていたが、’56年にTBSで東芝日曜劇場がスタートするなど、民放ドラマも黎明期を迎える。

 いまも現役の石井ふく子さん(87)が、TBS東芝日曜劇場のプロデューサーになったのは’58年。この年、黎明期の民放ドラマの最高傑作といわれるフランキー堺主演の『私は貝になりたい』が放送された。

「戦時中に上官の命令で米軍の捕虜を心ならずも殺した男が戦後、平穏に暮らしていると、突如C級戦犯として逮捕され、死刑になる、衝撃的な内容。ドラマ史に一大金字塔を打ち立てた名作です」(テレビ評論家・古崎康成さん)

 プロデューサーに成りたての石井さんは、お手伝いのつもりで、このドラマを放送するスタジオにいたという。

「当時のドラマは生放送が基本。これは90分以上の長い作品ということもあり、前半がVTR、後半が生だったと記憶しています。昭和33年というと、まだ日本人の心に戦争が生々しく残っていた時代。岡本愛彦さんの演出が迫真で、ものすごくリアリティがあって、現場で鳥肌が立ったものです」(石井さん・以下同)

 いまではドラマの生放送などピントこないが、生にハプニングはつきもの。「なかでも忘れられないのが、徳川時代の『お犬さま係』の話を放送したときのこと」と石井さんは当時をこう振り返る。

「小道具さんに『白い日本犬を用意して』と頼んでいたのに、本番間近にようやく届けられたのがスピッツだったんです。しかたなく私とメークさんで、毛を刈り、ピンクの鼻を眉墨で黒くして、日本犬らしく仕立てたんですが、本番中、犬が鼻をなめ眉墨が落ちてしまって(笑)。案の定、番組終了と同時に視聴者から『あれはスピッツだろう』とご指摘の電話がありました」

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