破竹の勢いで売り上げを伸ばし続ける少年漫画『進撃の巨人』。’13年にアニメ化、’15年には実写映画化が決定している。現在、累計部数2800万部を突破。連載“中山秀征の語り合いたい人”、今回はその作者、諫山創さん(27)が自らの原点を語ってくれた。

諫山「僕が生まれ育ったのは大分の田舎の小さな町です。極端な盆地で、夏はとてつもなく蒸し暑く、冬は心底寒い過酷な土地柄。僕の町は県境の山奥。実家から見える景色はそびえ立つ山で、壁の内側という感じでした。『山の向こうはどうなっているのか』『ここから出たい』と『進撃の巨人』の主人公が思っていることは、僕もずっと抱き続けた思いでした」

中山「そんな地元で高校まで過ごして、福岡の専門学校に進学したんですよね」

諫山「親に『漫画家になりたい』と言えず『家具や家電のデザインをするインダストリアルデザイナーになりたい』と言って、専門学校に進みました。当初の計画どおり、親には内緒で漫画学科に転科したのですが、その直後に通知が行っていたらしく、親はわかっていたんです。僕もバレてるんだろうなと思いつつ、自分からは言えなかった。高校生のときに描いていた漫画も、親には隠してました」

中山「それじゃあ、親は漫画を描いていることすら知らなかった?」

諫山「いえ、バレました。高校生のとき、机に置きっぱなしにしたものを見られて、父には『絶対になれないから、漫画家なんて目指すな』と叱られました。必死に隠していたので、エロ本が見つかるより何倍も恥ずかしかったです(笑)」

中山「えー!なんで恥ずかしいの?夢を持ってやっていることだし、漫画を描くことが悪いことではないでしょ?」

諫山「父に見つかったときは、全く何も言い返せずに、ただ恥ずかしくて硬直していました。漫画家にはなれない可能性が高いことをわかっていたので、最初から言わなければリスクを背負う必要はない。絵を描くことが好きだという以外は得意なことがない自分をこれ以上さげたくないという思いから、必死に隠していましたね」

中山「不言実行もカッコイイですよ!東京には、来る前に腹をくくって出てきたのか、来てから腹をくくったのか、どちらですか?」

諫山「専門学校を卒業して、『腹をくくるために、自分を追い詰めるために東京に来た』感じです。自分を知っている人がいない、新しい場所に行きたかったというのもありました」

中山「ご両親は、何と言ってました?」

諫山「喜んでいました。父は『安定した仕事をやれ』と言っていましたが、僕が知らない場所へ行き、さまざまな経験をすることは推奨していましたので。19歳のときにMGP(マガジングランプリ)で佳作をとって、初めて自分の口から『漫画家として生きていきたい』と両親に伝えられました」

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