「母の遺品を整理するのは、正直、イヤです。女モノですから、たとえば下着なんかさわれないですし……」
 と苦笑する、島英津夫(53)。1月11日、食道がんのため亡くなった、淡路恵子さん(享年80)。長男で俳優の島は、最期まで淡路に頼りにされ、彼だけに淡路さんは“母の素顔”を見せてきた。

「昨年6月に入院して以来、『自分の顔を見るのがイヤだ』と言って、鏡を見なくなったんです。『退院したときに見る。今はきっとやつれた汚い淡路恵子だから、私は見ない』と言っていましたね」

 最期まで“女優魂”を貫いた淡路さんは、弱音は一切吐かなかった。やがて、余命が短いことを自ら悟った淡路さんは、島に向かって、こう語ったという。

「『私に何かあっても、悲しまないでね』と。『お母さんはきっと楽になって、天国でお父さん(萬屋錦之介)や、晃廣(三男)と哲史(四男)に再会が叶うんだから……』と」

 ‘87年に離婚した萬屋錦之介さん(享年64)。その錦之介さんとの間に授かった2人の息子を、ともに非業の死で喪っている。三男・晃廣さんは、’90年にバイク事故で急逝。四男・哲史さんは’04年に淡路さんの自宅に侵入し、金品を物色していた容疑で逮捕される。そして、その6年後の10年に自ら命を絶っている。

家族の前では、ゲームに夢中になる、少女のような無邪気さもたびたび見せた。
「“ドラクエ”好きは有名ですが、生半可な“好き”じゃないんですよ、本当に(笑)。 僕、離婚して数カ月、母の家に厄介になっていたので、よく知っていますが、夜通し朝の6時ごろまでやっていましたよ、ピコピコと。お酒が好きで、酔っ払うとずーっとしゃべっているんですが、その話もドラクエのことばかり。『ここのスライムはね、ここから入って、宝箱を取るといいのよ』とかなんとか。 最近は『ファイナルファンタジー』もやっていたんですが、あれは声が出るのがイヤなんですって。『なんでこんな下手な声優が、私の夢を壊すのよ!』って(笑)。だから、ドラクエしかやらなくなりましたね。いま思えば、親父と別れた後ですよね。ドラクエをあんなにやるようになったのは。ドラクエでストレス発散をしていたのかもしれません」

 萬屋さんとの離婚は87年。ドラクエ第一作が出たのは、その前年のことだった。淡路さんはいま、亡き家族たちとともに、空の高みから遺された家族を見守っていることだろうーー。

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