「食べることが大好きだった父なのに、何も食べられなくなり、かわいそうで……。『せめて氷だけでも』という父のお願いを先生に話して、1日1個だけ、なめさせてもらいました」

そう語るのは、4月8日に誤嚥性肺炎のため亡くなった中華料理人・周富徳さん(享年71)の長男・志鴻さん(46)。志鴻さんは、周さんが経営していた「広東名菜 富徳」のマネージャーを務めている。

周さんは、歯切れのよい語り口、手際よく豪快な料理のスタイルで人気を集めた。本場の家庭料理などを日本人の口に合うようにアレンジしてメニューに取り入れ、中華料理の世界に次々と新風を送り込んだ。93年から『料理の鉄人』(フジテレビ系)に出演し、数々の名勝負を繰り広げ、“炎の料理人”の愛称でおなじみの人気者になった。
 
「テレビやお店では饒舌でしたが、ふだんはとても静かな人でした。僕が学生のころは、父が家で料理してくれることもあったんです。春雨を使った炒め物とか、まかない料理のようなものなのを、家に友人が来るとササッと作ってくれて。みんなが『おいしい!』って言って食べるでしょ。そうすると次には、品数や量が増えているんです(笑)」

 ここ何年かは、腕のしびれもあって鍋を振ることもできなくなっていた周さんだが、入院前は、月に一度お店で開催する料理教室をとても楽しみにしていたという。周さんは以前、本誌の取材に“夢”を語ってくれていた。それは、食材に恵まれた土地で、ペンションのような、宿泊もできておいしい料理をゆっくり味わってもらえる施設を作ること――。

《オレが料理を作って、一緒に食べて、おしゃべりをして、おしゃべりしたくない人はすぐに寝て。そう、自由にね。今はストレスのたまっている時代だから、そんなストレスを解消したい店を持ちたいと思っているんだ》

 ついにその夢をかなえることはできなかったが、周さんが遺したメニューの数々はこれからも生き続ける。志鴻さんは最後にこう語る。

「今はただ、『心を込めて作れ』という、食に命を懸けた父の遺言を胸に、料理人として志をまっとうできればと思っています。きっと、お客さんの笑顔が父への何よりの供養ですからね」

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