4月30日、小説家・渡辺淳一さんが前立腺がんのため逝去した。享年80。男女の性愛の世界を書き続け、不倫をテーマにした代表作『失楽園』は’97年に映画も大ヒットし、社会現象に。それだけに渡辺さんには不倫愛の第一人者としての強い自負も持っていたようだ。

「’96年10月、石田純一さんの発言が世間で話題になっていたころです」と、親しかった知人が、こんなエピソードを明かす。
 当時、長谷川理恵とのデート現場を写真週刊誌に報じられた石田は、報道陣に対し、「不倫から文学や文化が生まれることもある」などと、発言。それが「“不倫は文化”と石田が開き直った」と報じられ、物議をかもした。

 前出の知人が都内にある渡辺さんの事務所を訪れたのは、その直後だった。雑談の合間に渡辺さんが、ふと漏らしたのだ。

「いま石田純一の“不倫は文化”って言葉が、話題になっているだろ。……あれね、僕が考えた言葉なんだよ」

「えっ、先生が石田さんに教えてあげたんですか?」

「いや……、川島なお美には話したんだけどね」

 渡辺さんは、それ以上は語らなかったという。知人は続ける。

「川島さんに話した言葉を、なぜ石田さんが知っているのか? そのことが渡辺先生の心にひっかかっていたようです。それ以上に、自分の言葉が石田純一に“盗まれた”ということが、文学者として許せなかったのだと思います」

 この件で渡辺さんが石田を非難することはなかった。結局、3年後の’99年に石田は松原千明と離婚。その直後に渡辺さんは連載エッセイで次のように書いている。

《石田純一という男優さんに直接会ったことはないが、ひとつだけ感心していることがある。それはある女性との密会を問い詰められて、「不倫は文化だ」といったことである。(中略)ただ欲をいうと、変に開き直らず、もう少し上手ないいかたをして欲しかったが、この言葉自体は、なかなか粋で洒落ていることはたしかである》(『週刊現代』’99年4月17日号)

 当時は「渡辺淳一さんが石田純一を擁護した」とも報じられたが、実は自ら生み出した言葉への愛情にほかならなかった――。

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