主人公・花子の「前向きな明るさ」が大評判のNHK連続テレビ小説『花子とアン』。その原案本作者で主人公・花子の孫である村岡恵理さんと、音楽担当の梶浦由記さんが、ドラマ制作の舞台裏を明かしてくれた。2人が語る“生みの苦しみ”とは——。

梶浦「“朝ドラ”というより、『村岡花子』さんの人生を描くドラマということのほうが、プレッシャーですね。私の母は花子さんのファンだったから『つまらない音楽作ったら承知しないからね』って、くぎを刺されているんですよ(笑)」

村岡「祖母は昭和7年くらいからNHKのラジオ番組で『ラジオのおばさん』といわれていたんですね。『花子とアン』の語り・美輪明宏さんの決まり文句『ごきげんよう、さようなら』も祖母がラジオで語っていたあいさつなんですよ。世代を超えた縁を感じられてうれしいです。どうやって音楽のイメージを作っていったんですか?」

梶浦「最初にプロットと原案本をいただくというところから始めました。それからお衣装や撮影現場のお写真をいただいたりしてイメージを膨らませていくんです。全部で100曲以上は作るのですが、あと30、40曲というところです」

村岡「それは大変。祖母の時代を追ってみると、女学校の青春時代があって、大正デモクラシーがあって、関東大震災、息子の死、第2次世界大戦とつながる。時代、環境の変化も激しいから、音楽作りも難しくなりますよね」

梶浦「そうですね。前半だけでも花子さんは山梨の田舎から良家の子女が集まる女学校へと、激しい変化を経験しているので。そのあたりは大変ですが、やりがいが出てくる部分でもありますね」

 何もないところから、1人で新しいモノを作り出す仕事。そこには、共通する悩みや苦しみがあるようだ。

村岡「私自身は調べるのが大好きで、調べるうちについ寄り道をしてしまうんです。印刷業界の歴史であったり、婦人参政権、明治、大正の子供たち……。本当はもっと勉強してから書きたかったんですけど、担当の編集者から『今やらないと、村岡花子のことを世の中が忘れてしまいますよ』と締切りを厳しく迫られて、急にねじり鉢巻きをしたしだいです」

梶浦「村岡さんの原案本を読んだとき、淡々と事実が描かれていて、過度に村岡さんの感情が入りこんでいなかった分、逆に感情移入がしやすいと思いました。身内のことを書くのは難しいですよね。親戚とのしがらみもあるし」

村岡「ちょうど執筆中に父が重い病気になり、家の中もぐちゃぐちゃでした。『親戚のことをこういうふうに書くな』『お前に何がわかるんだ』って、病床の父と怒鳴り合いのケンカです。父は出版直前に亡くなったのですが、今は喜んでくれていると思います」

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