放送開始から47年、今も旬のパーソナリティを起用し、ファンに支持され続ける『オールナイトニッポン』(ニッポン放送ほか)。元ニッポン放送アナウンサーの「アンコーさん」こと齋藤安弘は、親しみやすい語り口と粋な選曲で人気を集めた、初代パーソナリティのひとりだ。

「『オールナイトニッポン』が始まる以前の、午前1~5時というのは、スポンサーがつきにくい時間帯ということで、キャバレーや宗教の番組が流されていました。ところが文化放送で、僕と同期のアナウンサーだった土居まさるさんが『真夜中のリクエストコーナー』というのを始めて。先輩たちは『あれはアナウンサーのしゃべりじゃない』と言っていたけど、それがウケたんですよ」(齋藤・以下同)

 その後、TBSラジオでも『パックインミュージック』がスタート。そこから約2カ月遅れて『オールナイトニッポン』も開始した。最初は低予算番組だったため、初代パーソナリティはすべて社員アナウンサー。

「当時はザ・ビートルズもエルビス・プレスリーもいて、ベトナム戦争の影響で反戦フォークも盛んで、日本のグループサウンズも活躍して……と、音楽的にもすごく豊かでした。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』は、面白いと思って何度かかけたら、爆発的なヒットになって。これは、関西で生まれて、関東のラジオがはやらせた曲なんです」

 自主規制が必要な曲を「朝4時台なら気づかれないかも」とかけてしまったり、24分にも及ぶ曲をかけるために、CMをまとめて放送したり。大胆なエピソードが次々登場するが、じつは番組の初期には、意外な“禁じ手”があったという。

「当時『オールナイトニッポン』は『下ネタ』が禁止だったんです! いまでは考えられないでしょ。トイレの話くらいはいいかなと思って、僕はよくしていましたが」

 人気に火がつき、全国から届くはがきが週に1万5千通を超えることも。そして’69年には、ニッポン放送の同期で後に社長となった亀渕昭信氏と、「カメ&アンコー」のコンビで歌にも挑戦。リリースした『水虫の唄』は21万枚のヒットとなった。吉永小百合が司会を務めた『スター千一夜』や、『夜のヒットスタジオ』といったテレビ番組にも出演し、歌を披露した。

「でも会社員なので、僕らに印税はなし。ご褒美代わりに、アメリカに出張に行かせてもらいました。アメリカでも現地のラジオ番組で『水虫の唄』をかけたりと、若いから、何でもやりました」

 番組を盛り上げた全国のリスナーの中には、その後、さまざまなジャンルで活躍し、有名になった人も多い。

「リスナーから自分のしゃべりをテープで送ってもらうコーナーがあったんですが、そこで抜群に面白かったのは、後にTBSのアナウンサーになった松宮一彦さん。さだまさしさんには『長崎から40通くらいリクエストを出したのに、一度も読まれなかった』と、いまだに言われます(笑)。浅田美代子さん、林寛子さん、沢木耕太郎さんも聴いてくれていたそうです」

 パーソナリティとして、つねに大切にしているのは「リスナーとどうつながるか」ということだった。

「たとえば番組中、大雪が降ったら『雪道を走るときは、こんなところに注意』と、すぐプロのドライバーのリスナーからアドバイスがくるのは、生放送ならでは。僕らはありがたいことに、ラジオに育ててもらいました。これからは優秀なパーソナリティを育てることが、ラジオを未来につなげる課題だと思います」

関連タグ: