今年、デビュー40周年を迎えたロックバンドTHE ALFEE。坂崎幸之助と高見沢俊彦が20歳、桜井賢が19歳、明治学院大学のキャンパスで結成したバンドは若くして華々しいデビューを飾った。しかし、’80年代にブレイクするまで、バンドには長い苦節の時代が待っていたーー。

坂崎(60)「桜井はすごく大人びて見えましたね。大学生の雰囲気がするというか、クールな感じがしたんです、話すまでは(笑)」

桜井(59)「僕が初めて坂崎に会ったのは、高校3年の春に出たコンテストで、ちっこくてかわいいのに、ギターがでかくて、べらぼうにうまいんですよ。高校生のテクニックじゃないんですよね、歌もうまかった」

坂崎「コンテストで出会ってから3~4カ月後に、銀座の山野楽器でばったり再会して。次の日にコンテストがあると言って、彼の家で練習したんです。ハモったら、『声、すげえ合うなあ』と」

桜井「テープに録って聴くと、どっちの声かわからないくらいでした。で、一緒に出ちゃうか!って。厚生年金大ホールですよ。審査員の小室等さんの目に止まって、すぐにレコーディングが決まりました」

坂崎「それが高校3年生のとき。レコード会社2~3社から『大学に入ったらデビューしよう』って誘われていた。コマーシャルソングを歌ったり、セミプロみたいなことをやっていました。高見沢とは大学1年のときに出会って」

高見沢(60)「坂崎は、初対面でも人懐っこかったね。僕は、ハードロック系をやっていたんで、コーラス系の話すような仲間がいなかったんです。だから、坂崎と音楽の話をするのが楽しかった」

坂崎「高見沢のことは、もともと桜井から聞いていたんです。ハードロックをやっているけっこう派手なヤツがいるぞ、と。でも、大学で出会ったころは、眉毛をそって、化粧して、グラムロックみたいなイメージはなかったですね。ひと昔前のアイドル歌手、三田明さんみたいな感じで(笑)。女の子に人気ありましたよ。高見沢をディレクターに会わせたら、『いいね、高見沢君。第二の赤松愛だね』って、GS(グループサウンズ)かい(笑)? リードボーカルだった桜井に代わって、高見沢がボーカルデビュー。筒美京平先生を紹介され、『はっぴえんど』のメンバーだった松本隆さんが作詞。大きなレールが敷かれてのデビューでした」

桜井「出版会社もプロダクションもレコード会社も、大手が集まって。僕らも引くに引けなくなっちゃったんです」

坂崎「デビュー告知が、新聞広告の一面ですよ。金を使ったぶん、デビュー曲はそこそこ売れました。『ぎんざNOW!』のレギュラーだったし。でも、2枚目がまったく売れなくて、3枚目は、3億円事件の時効に合わせて、犯人をたたえるようなパロディを歌わせられたんですが、結局、僕らも知らないうちに発売中止」

高見沢「さすがに温和なアルフィーも怒りました(笑)。でも、オリジナル曲がないから理不尽なことが起きるわけで、やはりバンドは、自分たちの方向を示す色が必要だと思い知らされました。それでやっと僕が曲を作りだしたんですよね」

坂崎「それがきっかけでレコード会社をやめて、4年くらいが修行時代。そこからですね、みんながアマチュアでやんなきゃいけないようなことを始めたのは。研ナオコさんやかまやつひろしさんのバックでツアーについて行きながら、自分たちの曲をライブハウスで発表していました」

桜井「僕がサングラスをかけだしたのも、そのころです。『印象がなくてつまんないから』って。角刈りにもしたんですよ。高見沢が、『アルフィーの未来のためにお前は角刈りにしろ』って言うから。俺も、素直にそうかなあ、って(笑)。それで角刈りが伸びてポマードをつけるようになって、で、リーゼントになったんです」

坂崎「僕はカーリーヘアで、高見沢がいちばん普通でした。それで、これはいかん!って本人気づいたみたい(笑)」

高見沢「写真を見たとき、このグループ、これじゃあ一生、売れないと思って(笑)。髪をパンクヘアにしてから、昔のハードロックのころを思い出して。だんだん派手になりましたね」

坂崎「当時、観客が総立ちになるくらいのライブになっていたんです。高見沢の楽曲もニーズに応えてどんどんハードになっていきましたね(笑)」

高見沢「アルフィーが続いてきた秘訣というのは、ものすごいブレイクじゃなくて、そこそこだったからいいんじゃないかな(笑)」

坂崎「そう、『メリーアン』以降は小ブレイクの連続です。まだまだ、これからですね。アルフィーは大ブレイクする可能性を秘めているバンドなんです(笑)」

桜井「小さい噴火が何回か続くと、温泉だけは出る、みたいな感じ(笑)。小さいほうがいいんですよ」

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