「花子が16歳のとき、東洋英和で出会った白蓮さんとは、生涯にわたって親交が続きました。ドラマでは白蓮事件が中心に描かれていましたが、英米文学ばかりを読んでいた“英語の花ちゃん”に日本文学の素養を与えてくれたのが白蓮さんなんですね。
そして、実は花子には白蓮さん以外にも、人生で大きな影響を与えられた魅力的な女友達が数多くいるんです」

 そう語るのは、ドラマ『花子とアン』の原案となっている『アンのゆりかご』(新潮社刊)の著書で、主人公・花子の孫である村岡恵理さん。花子には、青春の多感なとき、恋に苦しんだとき、わが子を失い絶望のどん底で苦しんだとき、いつも支えてくれる友がいた。そんな花子を幸せに導いた「3人の畏友」を、村岡さんが明かしてくれた。

【花子の“道ならぬ恋”を成就させたキューピッド・守屋東】
 花子が所属していた矯風会の、個性の強いメンバーのなかにあって、小学校教師をしていた9歳年上の守屋東は人当たりがよく、花子は姉のように慕っていた。花子が、当時まだ妻がいた夫・敬三との道ならぬ恋に悩まされた時期、九州に嫁いでいた白蓮に代わり、唯一、相談できたのが東だった。

「キリスト教ではご法度とされる恋ですが《花ちゃんは愛されて幸せね》と祖母に手紙を送って、応援してくれたんですね。祖父にも《きちんと籍を抜きなさい》とプレッシャーをかけています」(村岡さん・以下同)

【ブラックモア校長を降参させた伝説の舞台女優・長岡輝子】
 花子より15歳年下で、女学校時代は大正デモクラシーが叫ばれた時代、「礼拝堂の席順を英語の成績で決める」というブラックモア(ドラマではブラックバーン)校長に「民主的ではない」とかみついたのが長岡輝子。花子はブラックモア校長を「長岡さんの行動は、内側から学校をよくするためのもの」と説得。この事件をきっかけに交流が深まる。

「ブラックモア校長も『自分のやり方が時代に合わない』と感じたのかもしれません。(事件後)間もなくカナダに帰国します。“教室異変”を起こしたり、(その後)舞台で活躍する長岡さんの『一点にかける大きなエネルギー』に、祖母は純粋に感心していました」

【花子を絶望の底から救った先輩・片山広子】
 大正15年、花子は最愛の息子・道雄を病で亡くす。わずか6歳の息子の死に絶望し、神の存在すら信じられなくなった花子の元に訪れ、1冊の本『ザ・プリンス・アンド・ザ・ポーパー』を手渡したのが、東洋英和の先輩で女流文学者の片山広子だった。花子は数カ月ぶりに、寝食を忘れて、むさぼるように読書した。そして一つの生き方を見つける。

「自分の子どもは失ったけど、日本中の子どものために良質の文学を翻訳する。それが残された自分の使命だ」

 こうして訳された本は『王子と乞食』として出版された。テレビドラマでは夫の弟から贈られた原書を翻訳する設定だったが、じつは人生最大の悲しみと、周囲の友情によって生まれた、渾身の翻訳本だった。そこから花子は『赤毛のアン』をはじめ、すばらしい作品を生み出していった――。

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