連載第24回となる『中山秀征の語り合いたい人』。今回のゲストは、常に漫画業界の第一線を走り続け、多くの人々を魅了するストーリーを紡ぎ出す浦沢直樹(54)。女子スポーツもの、ミステリー、SF、サスペンスなど、作風は作品によってまったく違う。1億冊以上を売った天才漫画家の人物像に迫る!
中山「浦沢先生がプロの漫画家になろうと思ったのは、いつごろからなんですか?」
浦沢「僕はプロになりたくなかったんです。僕が好きな漫画は軒並み売れていなかった。あの名作『火の鳥』だって売れてなかったですからね。だから、僕は自分が漫画家になったら、きっと売れない作品を描いてしまうと思っていた。貧乏は嫌だったので、それなら今までどおり好きに漫画を描きながら、普通に社会人をやればいいと思っていたんですよね」
中山「ターニングポイントは?」
浦沢「小学館の入社試験を受けに行ったついでに、描きためていた漫画も見てもらったんです。でも『少年サンデー』の若い編集者に結構なダメ出しをされた。『やっぱり僕の漫画はダメだ。通用しないし売れないんだ』とあらためて実感して帰ろうとしたところに、ベテランの編集者が通りかかった。
『持ち込み?ちょっと見せてみ?』と原稿を見せたら、『これは少年サンデーじゃなく、ビッグコミック向きだな』と『ビッグコミック』編集部に連れて行ってくれた。原稿を読んだ編集者に『いいじゃん、これ』って、ものすごく褒められたんです」
中山「そこから人生が変わったんですね。その後、浦沢先生は破竹の勢いでヒット作を連発していきますね」
浦沢「『売れるためだけにやってるわけじゃねーよ!』っていう高飛車なプライドは失いたくなかった(笑)。その一方で、欲が出て、もっと売れたくなってしまって、自分の発想や行動が貧しくなるのは嫌でした。ただ、漫画を仕事にするからには、売れるモノを作って五分の魂を世間の人たちに見てもらうのも大事だとも思ったんです。
100人にしか受け入れられない自分の趣味趣向だけの作品と、100万人が支持するけど自分の五分の魂しか込められない作品とだったら、100万人に読んでもらうほうがチャレンジする価値がある。五分の魂でも残ってればいいんです。そのくらいの勝負をしないと、世間に認められないし、プロではないですから」
中山「作風も変わっていきましたか?」
浦沢「作品の内容は、自分の置かれた環境にも左右されますね。独身のとき、結婚してから、子どもが生まれてから、それぞれ違います。その日テレビで見たニュース、国内の政治も経済も教育も、世界情勢も作品に反映されますよ」