隔週連載《中山秀征の会いたい人》。今回は、’06年にデビューし瞬く間に国民的グループとなり、’13年に解散したファンキーモンキーベイビーズのリーダーだった、ファンキー加藤さん(35)。ここでは“ファンモン解散”の思いを語ってくれた。

中山「『解散』という日が来ることはいつごろから考えていたんですか?」

加藤「実は、最初にケミカルを誘ったときから、あいつは実家がお寺なので『いずれ住職としてお寺を継ぐ』という話はされていました。それを承知で始めたものの、僕らの予想以上の早さでたくさんの人から愛されるグループになっていって」

中山「そうか、その日が来ることはみんながずっと思っていたことなんですね」

加藤「はい。心の深いところに鍵をかけて、でもその日は来る、いつかケミカルがやめる日は来る、という思いはずっとみんなの中にありました。特に本人のケミカルはその鍵をいちばん開けづらかったと思います。最初は『住職になるまで楽しく音楽をやれれば』というような気持ちだったと思うんですよ。それが、多くのスタッフさんが関わるプロジェクトになっていたから、あいつもすごく迷ったと思います」

中山「ふつうは音楽性の違いやトラブルのために解散するものですけど、そういうことじゃない中で、最後までの道筋を自分たちで作っていったんですね」

加藤「トラブルであれば突発的だからいきなりバーンと解散しますけど、僕らは仲がいいし音楽性の方向もバッチリあっているわけで。さらに、ケミカルがいなかったらファンモンもここまで来れていないという感謝の気持ちがあったから、送り出すことに迷いはなくて。そうして、有終の美をどこで飾ってあげたいかを考えたときに、室内最高峰、いちばんデカい東京ドームというところまでたどり着こう!となったんです」

中山「グループとして何も問題がない中で、ゴールを作らなきゃいけないって、これは相当珍しいですよね。普通はここまで大きなグループになってしまったら、もうこのまま行こう、とかなりそうだけど、決めていたとおりに終われるというのもまた本当にすごいことです」

加藤「ケミカルもちゃんと住職になりたいって言ったし、僕とモン吉もそんなケミカルをしっかり送り出したいという気持ちは完全に一致していたので、そこに対してのブレというのはまったくありませんでした。ファンモンって、スタート当初からゴールが見えていたんですよね。ゴールが見えていたからこそ、ずっと全速力で走ってこられたんだと思います」

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