「今年で歌手生活50年。夫との出会いがなければ『ひとり寝の子守唄』は生まれなかったし、私が『知床旅情』を歌うこともなかった。彼との出会いは、女性としてもそうだけど、歌手としての私にとってもかなり決定的なものがあった。彼は、私運命にとって決定的な人でしたね」

そう語るのは、これまで数々のヒット曲を生み。歌手生活50年を迎えた加藤登紀子(70)。夫は、12年前に急逝した故・藤本敏夫さん。学生運動の元リーダーで、当時、学生運動関連で実刑を科せられ服役中だった藤本さんと彼女が獄中結婚したのは72年。当時は大きな社会的ニュースとなった。

「彼は、私にあれこれ言う人ではなかった。新しいレコードやCDが出るたびに『はい、これ』と言って渡していたけれど、聴いたかどうかもわからない。コンサートも、ちらっと来るけど『よかった』とも言わないし、できるだけ無関心でいようとしていたみたい」

 そんな夫が肝臓がんで逝ったのが58歳のとき。以来、3女の子育てと、彼の遺した有機農園『鴨川自然王国』を彼女が一人で抱えることとなった。

「彼の死後、鴨川の自然王国には多くの若者が集まって、娘は、その中の一人と結婚して、歌手活動と農業を続けながらすごく幸せな家庭を営んでいる。ほかの娘たちも幸せで、私は本当にうれしい。ありがとう、ありがとう……。不思議なもので『困ったときの彼頼み』を、いまでもするの。たとえば、彼が生きていると『悪いけど、明日コンサートだから天気にしてくれる』とは言えないよね(笑)。だけど、あの世に行った人にはそれできるような気がして『彼頼み』をする。『お願い、天気にして』って。そうすると天気予報は「曇りときどき雨」でも、その日は、雲がパーっと切れてお日さまが顔を出したりするんです(笑)」

 今年70歳になった彼女。歌手生活50年と女手一つの子育てを支えてきたのは、亡き夫との“夫婦の会話”だった――。

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