「僕の兄と秀さんが知り合いで、僕はまだインディーズで活動していたころでした。兄の四谷のアパートでデモテープを聴いてもらいましたよね」

 そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第31回のゲスト、X JAPAN・ボーカリストのToshI(49)。ときに激しく、ときに透き通る伸びやかな美声で多くの人々を魅了する。Xデビュー前からの旧知の仲だという2人のぶっちゃけトーク、スタートです。

中山「YOSHIKIさんとはずっと小さいころからの幼なじみなんですよね?」

ToshI「幼稚園からずっと一緒で、小学生のときに音楽を始めました。中高時代はコピーバンドをしていましたが、曲のピッチを上げ、速さを倍にして、勝手にアレンジしたり、メドレーを作っていたりしていましたね。YOSHIKIの才能もあり、普通の中高生がやらないような奇抜なことをすでにやっていたんです」

中山「Xを結成したのはいつ?」

ToshI「高2でオリジナル曲を作り始めて、バンド名をXにしました。実は高3のとき、YOSHIKIは音楽大学の推薦入学が決まっていたんです。彼にはクラシックピアノで音楽を極める道が用意されていた。でも、僕は東京に出て、勝負してみたいなと思っていた。どうやら僕が彼を説得したらしいのですが、僕はあまり覚えていないんです。YOSHIKIは『ToshIが言ったんじゃーん!』っていうんですけどね(笑)」

中山「それは人生の大きな転換期ですね」

ToshI「YOSHIKIは『中途半端は嫌だから、大学行くのはやめる。やるなら全てを捨てて東京に出て、ロック1本でやっていこう』って。僕も1人では自信がなかったけど、YOSHIKIのカッコよさや才能などがとにかく際立っていたので、一緒にやっていきたいなと思ったんです」

中山「ライブハウスで地道にやっていたの?」

ToshI「東京に出て初めてのライブは、渋谷の『ラ・ママ』というライブハウス。僕は高校時代、バレーボール部で丸刈りだったので、まだ髪が全然伸びていなかったんですよ。これじゃあ東京のバンドマンたちにナメられると、なぜかメンバー全員が金髪にするんです(笑)。朝までブリーチ剤をつけておいて、やりすぎて真っ白になった短い髪を、必死に逆立てました」

中山「今、メジャーを目指している若いバンドマンにとっては夢のある話だなあ」

ToshI「『ハチャメチャなやつらがいるぞ』と噂が広まり、お客さんが増え、1年たったときにはだいぶファンがついていました。でも、メンバーチェンジが激しくて、さすがにYOSHIKIが『もうやめようか。ダメかもしれない』と落ち込んでしまったこともあった。僕はYOSHIKIの江古田のマンションの一室でみかんを食べながら、『もう一回やってみようよ』と説得したのを覚えています。それからベースのTAIJI、ギターのHIDEやPATAが入ってきてくれたんです」

中山「デビュー当時の初期メンバーがそろったんですね」

ToshI「HIDEは当時Xよりも人気のあった有名バンドにいたんです。際立ってカッコいい逸材だったので、僕らは心底欲しくてHIDEのライブに通って、引き抜きに行くんです。でも、向こうのメンバーも全員いる打ち上げ会場で、YOSHIKIが『俺のバンドに入りなよ〜』って叫んで……(笑)」

中山「それは変な空気になりますね」

ToshI「当時はケンカもよくありましたからね。僕は会計係だったので、いつもYOSHIKIがぶっ壊してしまう看板や居酒屋の壁の修理代を払っていました。ファンもついて収入自体は上がっているのに、修理代や飲み代で全部出ていってしまっていましたね」