6年の刑期を終えて刑務所を出たばかりの男が食堂に入るやいなや、ビールとかつ丼、ラーメンを注文する。コップに注がれたビールを万感の思いでみつめると、一気に飲み干す。健さんの名演が光る、主演映画『幸福の黄色いハンカチ』(’77年公開)の冒頭シーンだ。

「あの映画に感銘を受けた僕は、法務省矯正局長に就いた’86年に『君の言葉なら受刑者の心に響き、改心につながるはずだ』と健に刑務所の慰問を頼んだのです」と語るのは、昨年11月に亡くなった高倉健さん(享年83)の70年来の親友で、元検事の敷田稔さん(82)。2人は福岡県の中学・高校の同級生で、晩年まで交流を続けていた。そんな親友の依頼で、健さんは刑務所の慰問を始めたという。初めての慰問先は川越少年刑務所だった。

「健の講話には、僕も立ち会いました。彼の話に真剣に聞き入っている大勢の若い受刑者たちの泣き出さんばかりの表情を見て、“来てもらって本当によかった”と思いました。この日の感動は、彼らのその後の生き方に大きな影響を与えたに違いありません。『幸福の黄色いハンカチ』を見事に演じた健の話だからこそ、受刑者の心に響いたんだと思います」

 健さんはその後も、“生きている限り公にしないこと”を条件に慰問を引き受け続けた。

「僕が健から聞いたのは『慰問をしているということを自分の俳優活動の宣伝に使いたくない』という言葉でした。それは、俳優としてではなく一人の人間として彼らに対したかったからだと思います。実際、健の言葉で立ち直った人も多いはずです。健は『失敗からどうやって立ち直るのかが大事だ』と、よく話していました。罪を犯した人物の役を何度も演じるなかで、受刑者の社会復帰について真剣に考えていたと思います」

 ’12年、健さんは遺作となった映画『あなたへ』のロケ地・富山刑務所でも講演を行っている。この慰問だけは公にされたが、実はその26年も前から多くの慰問を続けてきたことは、ついに健さん自身の口から語られることはなかったーー。

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