「お店を開く前の年、’63年にロシアやヨーロッパ、アメリカなど各国を、ブライダル事情の視察で回っておりまして。この11カ月の旅が、私の一生を決めた気がします。このとき、手帳にブライダルハウスを建てようとか、親族も含めたブライダル衣装を作ろうとか、ブライダルの参考書を書こうとか、いろいろな構想を書き留めていました」

 そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第37回のゲスト、ブライダル・ファッションデザイナーの桂由美さん。日本初のブライダル専門店を赤坂にオープンした’64年暮れから50年。女性が最も美しく輝く日を演出し続けてきたパイオニアだ。若き日に夢見た“ウエディング革命”を成し遂げた原動力とはなんだったのか。2人のぶっちゃけトーク、スタートです。

中山「お店を開店して、常にフルタイムで働き続けるなかで、なにか転機のようなものはあったのでしょうか」

桂「開店から2〜3年後に、あるメーカーが全国の貸衣装店にウエディングドレスを卸す仕事をはじめたんです。ピエール・バルマンと、桂由美の2ブランドが全国に置かれるようになりました」

中山「香淳皇后のドレスも手掛けた方と」

桂「でも、ピエール・バルマンのほうは全然売れなかった。なぜかというと、キリスト教で式を挙げるような、肌をあまり出さないデザインだったからなんです。困ったメーカーの社長は、そのことを私からバルマンに伝えてくれと言うわけですよ。汗を流しながらバルマンに説明したら『わかりました、こういうことね』とサラサラっと描き直してくれて……。その絵をもらっておけばよかったと思うくらいすてきでした」

中山「一流の方は、対応力と順応性があった」

桂「そのあとにいまのお店に来てくれて、『私はこの世でもっとも美しいのは花嫁だと思っている。でもオートクチュールだから年に3回くらいしか会えない』と。彼が手がけるのはどこかの国のお姫様とかなんですけど、私に『あなたは毎日、花嫁づくりをしている。このなかで囲まれてうらやましい』と言ったんですね。本当に体が震えて、『絶対にブレない』と」

中山「こんな幸せな仕事はないと改めて決意をされたんですね」

桂「そうです。社員にも言っているんですけど、三愛精神といって、この職業と商品、そしてお客様への愛。私たちにとっては毎日のことだけど、お客様にとっては一生に一度のことだから必ず満足してほしい」

中山「花嫁にとって最高の一日になるよう努められているんですね」

桂「でも、働いているという意識はないんですよ。私はただ、ずっと好きなことをやってきただけですから」