5月8日、台湾の新北市にある歌手テレサ・テンさんの墓地には大勢の人々が訪れ、花束や線香を手向けていた。’95年5月8日、静養先のタイ・チェンマイのホテルで気管支喘息のため急逝してからすでに20年。しかし“アジアの歌姫”の歌声は色あせることはない。

「“彼女の声を聞くと癒される”という日本のファンは多いですね。特に4年前の東日本大震災以降は、有線放送やカラオケなどでの人気も再び高まっています」と語るのは、元レコード会社社長の舟木稔さん(82)。テレサさんの日本デビューの立役者で家族ぐるみの付き合いがあったことから、彼女から“日本のお父さん”と呼ばれていた。テレサさんは42年の短い生涯のなかで、さまざまな恋をしたが、結婚することはなく、子供もいなかった。

「よく覚えているのは、’81年に婚約した香港の大実業家の御曹司、ボー・クオック氏です」

当時、テレサさんは日本の芸能プロダクションとの契約が切れていた。舟木さんはプロダクションの担当者N氏といっしょに香港を訪れ、テレサさんと再契約を交渉したのだ。

「しかしボーさんの家族は、“結婚するのなら歌手を辞め、芸能界を引退してほしい”とテレサに要求していたのです。N氏がテレサに『あなたは本当に歌を捨てることができますか?』と問い詰めると、彼女にしては珍しく激しく怒りました。『Nさん、あなた、私の結婚の邪魔をするのね!』と……」

 彼女は’82年3月にシンガポールで挙式する予定だったという。だが彼女は“歌を捨てる”ことができなかった。

「彼女の心は揺れ動いていました。『結婚して芸能界を引退する』と言ったかと思えば、『歌は私の命だから!』と口走ったり……。葛藤の末、彼女は結婚より歌を選んだのです」

結婚を断念した後に発表された『つぐない』(84年)、『愛人』(85年)、『時の流れに身をまかせ』(86年)は、いずれも彼女の代表曲となったのだ。

「彼女の生涯はたった42年。亡くなったときには私も本当に悔しかったです。しかし20年がたち、彼女の歌が歌い継がれている現在を見て、ようやく“彼女の人生はあれで良かったのだ”と思えるようになりました。彼女は“歌が命”と信じてずっと歌い続けて……。それで幸せだったのではないかと思います。きっと彼女の歌は50年どころか100年も歌い継がれていくことでしょう」

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