「撮影現場でモニターを見ながら、監督のくせに何度も泣いてしまいました」

河瀨直美監督を泣かせた映画『あん』。小さなどら焼き屋の店長・千太郎(永瀬正敏)のもとに、店頭の求人貼り紙を見た老女・徳江(樹木希林)が現れる。徳江のおかげで、店は大繁盛。だが、彼女の指が不自然に折れ曲がっていたことから、“徳江はハンセン病患者”という噂が広がり、客足も減り、まもなくぱったりと途絶え、徳江は自ら店を去ってしまう。

千太郎は彼女が住む国立療養所を訪ねるが、そこで徳江の言葉に魂をゆさぶられる。

「私たちはこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。……だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ」

河瀨監督は撮影現場では寡黙で、出演者への指示は一言とか二言だけ。俳優はそこから何かを感じ取って、それぞれの役に入っていく。

「男やもめの千太郎は、安アパートで何を食べるのかしら?」

監督に問われた永瀬は、ロケセットの部屋に泊まってコンビニ弁当を食べ、銭湯やコインランドリーに通った。母子家庭の中学生・ワカナを演じた樹木の孫・内田伽羅も、狭い団地で1人暮らしを初体験し、「孤独な少女」を好演した。

療養所で、千太郎とワカナが徳江の作ったぜんざいを食べる場面、永瀬が想定外の嗚咽をもらした。そのとき監督は徳江役の樹木の背後にまわって、耳打ちした。

「『悲しいときには笑うのよ』と、言ってください」

突然、台本にないせりふを指示された樹木は、さらにそれをアレンジしたという。

「美味しいときには笑うのよ」

河瀨監督が言い添える。

「『あん』だから言える言葉なんですね。樹木さんは徳江になりきるために、製菓学校であん作りを一から学び、許可が得られず実現しませんでしたけど、療養所にも住み込む覚悟でした」

インタビューの後で試写を見た。無性に「どら焼き」を食べたくなった。

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