今年でコンビ結成40年を迎えるオール阪神・巨人。デビュー直後から新人賞などを総なめにし、人気芸人の道をばく進。だが、その陰でコンビ仲は最悪だったという。一時は解散も決意した2人が、これまでの道のりを振り返った――。

オール巨人(以下=巨人)「今年でコンビを組んで40年やけど、40年の間にはいろいろなことがあって。ここまでよう来たなという感じやね」

オール阪神(以下=阪神)「40年は、ほんま早かった。あっという間でした。もともとコンビを組む前から、二人とも素人の演芸番組の常連で、巨人さんのことはよう知ってました。『ああ、ものまねやってる人や』と」

巨人「当時僕は、高校を出て実家の仕事を手伝っていた。阪神君は、まだ高校生だったけど、素人演芸の世界では有名人やった」

阪神「相方も有名でした。二人とも素人番組荒らしやったからね。それで、慰問団をつくって、みんなで落語家の林家染蔵師匠のところへ話の仕方を習いに行って」

巨人「そのまま落語家でいこうかと思っていたけど、ある演芸番組の予選会場で、審査員の方から『そこの背の高いのと低いの、いっぺん漫才やってみぃ』と言われて、やったら大受けしてね」

阪神「その方が『おれが段取りをするから、おまえら吉本(興業)に行ってプロの漫才師になれ』と」

巨人「それで、僕が先に吉本に入ったんやけど、同期に島田紳助と(明石家)さんまがおって。紳ちゃんは、まだ相方がいなくて『漫才したい、したい』言うて、『おれと組まへんか?』と。でも、僕は阪神君が高校を卒業するのを待っていたから『それはできへんねん』と。だから、阪神君が吉本へ来なかったら、僕は紳ちゃんとコンビを組んでいたかもしれない。いまはどうなっているかわからないけど(笑)」

阪神「デビューしてから、新人賞はほとんどいただきましたが、二人の仲は悪かった(笑)」

巨人「漫才コンビはみんなそうやと思うよ。僕らは、阪神君が僕のことを大好き、僕もきみが大好き。『ほな、コンビ組もうか?』『よし、やろう!』言うてコンビを組んだんやなくて、人に勧められて組んだ。だから、のちのち絶対もめるわけ。だんだんと相手のいいところより、悪いところばかり見えてきて。ほかのコンビもみんなそうやと思う。『ザ・ぼんち』の二人もいっぺん別れたし」

阪神「(西川)のりお・(上方)よしおさんもね」

巨人「『紳助・竜介』も解散した。みんなそうなの」

阪神「デビューして何年かはずーっとケンカしてたね。ラジオの生番組でも」

巨人「何が原因だったか覚えてないけど『もうしゃべれへんわ!』『ほんならしゃべるな!』言うて。当時、阪神君は18、19歳で、僕は五つ年上やから。リーダー的な気持ちもあったし、兄弟ゲンカの延長みたいなところもあったと思う。兄貴は弟のやることに腹が立つ、弟も兄貴のやることに腹が立つみたいなことで。でも、漫才は続けていた」

阪神「それは、ちゃんとね」

巨人「その理由は、プロになるとき『最低3年は頑張れ』と言われて『売れなくても3年間は絶対コンビ別れしません』と約束していたことがひとつ。あとは、不思議なことに、ケンカするたびに大きな賞をいただいた。上方漫才大賞の大賞とか、上方お笑い大賞の金賞を」

阪神「神様が『コンビ別れするな』言う感じで賞をいただいて。それを励みに仲ようなって、また仲が悪くなったら賞をいただいて……。その繰り返しでここまで来た感じですね」

巨人「ケンカして『もう解散や』言うたときも『いま入ってる仕事をやったら解散』という約束やったけど、次から次へと仕事が入ってきて現在にいたっている。『子はかすがい』と言うけれど、僕は、漫才コンビのかすがいは仕事やと思う。なんぼ仲が良くても、仕事がなかったら別れなしゃあない。だから、縁なんやろな。二人が出会って、ここまで来れたのは」

阪神「僕は『おまえ、1回嫁はんと別れているのに、コンビ別れはせんな』と言われたことがあります(笑)」

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