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「彼女はものの見方がまっすぐでした。文章にすると実に個性的で、その自由な表現に読み手は引き込まれ、励まされるのでしょう」

 

そう語るのは、佐野洋子さんと30年近く親交のあった編集者の刈谷政則さん。絵本作家の佐野洋子さん(享年72)といえば、’77年の発売以来、210万部を超えるロングセラーとなっている名作『100万回生きたねこ』(講談社)でも知られる。

 

NHK Eテレで放映された『ヨーコさんの“言葉”』(放送は9月末で終了)や、彼女の残した多くの本から、その“名言”に注目が集まり、新たなファンを獲得している。そこで、「もっと知りたい!」という人のために、刈谷さん、そして佐野さんのひとり息子・広瀬弦さんとともに、佐野さんの珠玉の言葉をたどっていこう。

 

名言1【私はガンになっても驚かなかった。ガンだけ威張るな。もっと大変な病気はたくさんある】(『死ぬ気まんまん』光文社)

「喜々として電話があって『私、がんなの』っていう調子でしたね。悲壮な感じの芝居をしていた」と振り返る広瀬さん。「長生きしないで済んだ」と安堵する佐野さんの姿に、広瀬さんが思わず発した「『死ぬ気まんまん』だな」が本のタイトルにもなった。

 

名言2【わたしは七十になったけど、七十だけってわけじゃないんだね。生まれてから七十までの年を全部持っているんだよ。だからわたしは七歳のわたしも十二歳のわたしも持っているんだよ】(『あの庭の扉をあけたとき』偕成社)

「何歳のころのことでも、とりわけ子供のころの記憶力がすごい。彼女にはさまざまな年代の引出しがあって、絵本作家として描いても、エッセイストとして書いても独特の視点で斬新だった」(刈谷さん)

 

名言3【私は本業は絵本作家のつもりで、……時々、たのまれると、文章を書いたりして、何冊か本にもしていただいた。欠陥肉体に宿る欠陥精神の部分である】(『私はそうは思わない』ちくま文庫)

「彼女はどの原稿をどの雑誌に掲載したかを覚えていない。僕は未整理の雑誌の切り抜きや散乱している送信済みのファクス用紙を拾い集めてエッセイ集にまとめたりしていました」(刈谷さん)

 

名言4【やぶれかぶれに、人間関係複雑で糸目がどこにあるやらわからず、こんぐらがったまんま墓の中までもつれ込みたいと思うのである】(『私はそうは思わない』前同)

「財産をすべて持ち歩く女や、食事も旅も全部、洋子さんに支払いをさせるケチ女といった、とてつもなく変な友達もいて、いろんな人間と情のある付き合いをしていた」(刈谷さん)

 

名言5【人はどんな不幸な時も、小さな喜びで生きてゆける。小さな喜びを沢山発見する事は生きる秘訣にちがいない】(『神も仏もありませぬ』筑摩書房)

「ごろごろするのが好きで、楽しみは読書とDVD観賞。よく手紙をあちこちに出していた。俺と同居しているときにも手紙がきて、とりとめのない内容だった」(広瀬さん)

 

欲望に正直で辛辣、意地悪話もその手にかかるとスカッと腑に落ちる。読後はなぜか元気をもらえる。それが佐野ワールド。惹かれ始めたなら、どっぷり浸ってみては?

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