image

「最初に言っておかなければならないことがあって……。皆さんを励ましに来たはずなのに、こんな元気でない姿を見せてしまって本当に恥ずかしいです。申し訳ありません」

8日、福島県郡山市にある複合施設・ビッグパレットふくしまを訪れたのは女優・吉永小百合(71)。2月20日、仕事先で転倒し左手首のとう骨を骨折し、その傷の癒えないなかでの登壇だった。この日、彼女が訪れた会場に呼ばれたのは福島県富岡町と川内村の住民約140人。これらの町は、いまだ原発事故の影響により、帰還困難区域に指定されている。 “原発禍”に巻き込まれ、戻りたくても戻れない被災者たちは、郡山市内での仮設住宅生活を余儀なくされてきた。

 

ビッグパレットふくしまでは現在、「第二楽章 男鹿和雄展~吉永小百合と語り継ぐ~」が開催されている。『第二楽章』は、吉永小百合が31年間続けてきた“詩の朗読”を集めたCD作品集。スタジオジブリの美術監督も務めた男鹿和雄さんが、文庫化に際して挿絵を描いている。この展示会は、男鹿さんの『第二楽章』の挿絵原画、桜の名所として知られる富岡町の桜のスケッチなど約100点の作品が置かれている。

この日のイベントは、ほとんど対外的な告知もされない“ボランティア”的なもの。だが彼女は、集まった被災者に対し“福島への思い”を熱く語り続けていた。「20代のころに観た浜田光夫さんとの共演映画がいまでも心に残っています」という70代女性の声が読み上げられると、

 

「彼とご一緒した映画で『風と木と空と』があります。ここ福島県の二本松市でロケをしたんです。中学卒業後、東京に集団就職に行くという映画です。当時まだ中学生だった西田敏行さんはこの映画を観て、『東京に行ってみたいなあ』と思ったそうです(笑)」

この意見を寄せた被災者の女性は、目に涙を浮かべながら彼女の話を聴いていた。震災後、吉永は朗読会や被災地訪問、さらには“原発禍”の現地まで訪れて、被災者に寄り添う活動を続けてきた。そんな彼女はこの場で「“復興”を感じた」と笑顔を浮かべて被災者に語っていた。

 

「私は伊達市の柿が大好きなんです。いつもスタッフに送ってもらっていたのですが、震災後はなかなか食べられなくて……。でも、去年久しぶりに福島の柿をいただきました。“検品済み”と書いているのを見たら嬉しい思いがこみあげてきたんです」

 

その言葉は、故郷に帰れぬ被災者を“帰れる日も近い”と励ます思いもあったことだろう。イベントの最後に発した言葉は、被災者の人たちを力強くうなずかせた。

 

「東京にいると、福島の皆さんがどれほど辛い思いをしているかがわからない。だからこそ今日のこの思いを、福島のいまを東京に帰って伝えたい。皆さんがふるさとに帰れるその日まで、私はいつも皆さまのために祈っています。一歩一歩、前に向かって歩いていけますよう、切に願っております」

 

イベント終了後は、来場者と記念撮影。来場者が握手を求めてくると、「ありがとうございます」と笑顔で応じた。会場を名残惜しそうに出て行く女性は、イベント終了後こう漏らしていた。

 

「私の青春時代から輝いていた人が目の前に現れただけでも嬉しいのに、私たちを励ましてくれていることが嬉しくてたまらなかったです」

 

震災から5年。被災者たちの笑顔は、密着取材していた記者にも輝いて見えた。