《私は幸せです》
自身の写真投稿アプリ『Instagram』でこう喜びを綴ったのは、5月26日にロックバンド『トライセラトプス』のボーカル和田唱(40)と結婚した上野樹里(30)。昨年秋の交際開始から、わずか半年ほどでのスピード婚だった。和田の母で料理愛好家の平野レミ(69)も、所属事務所を通じてこうコメントを発表している。
「私は結婚して、毎日夫に料理を作ることで、料理の腕が鍛えられ、そのままお料理が仕事になりました(中略)これからゆっくり、お料理を教えてあげようと思います」
平野はすでに手料理を振る舞っているようで、上野は『Instagram』で《いつも楽しくおいしいごはん、ご馳走になっています》と義母への感謝を記している。
「和田さんが惚れた理由のひとつは上野さんが“料理好きなこと”だったそうです。彼女は最近も腕前を上げたと明かしていますが、平野さんと囲む食卓が“花嫁修業”の場になっているみたいです」(スポーツ紙記者)
お母さんが作る家庭の味。それは、上野が長らく味わえていないものだった――。
14年に女性自身が【上野樹里 14歳で実母が死去…女優魂を支える「涙の遺言」】で報じたとおり、上野は14歳のときに最愛の実母を原因不明の病で亡くしている。CM出演が決まり、芸能界デビュー直前のことだった。当時、彼女の祖母は本誌にこう語っていた。
「お母さんがいなくなってから、樹里は『やっぱり自分がもっとしっかりしないといけない』と口にするようになりました。『自分の生活する分は、自分で仕事して稼がなあかん。自分の力で暮らせるようになるんや』とも言っていました」
「ひとりで生きていく!」と心に決めた上野は、結婚よりも女優として成功することを最優先に掲げてきた。そんな彼女の結婚を後押ししたものはなんだったのか。本誌が上野の故郷・兵庫県加古川市に向かったところ、上野家をよく知る地元の女性はこう語る。
「上野家は、みんな料理上手なんですよ。樹里ちゃんのおばあちゃんは一時期、近くの市場でお惣菜が並ぶ食堂を営んでいました。亡くなったお母さんも料理好きな方でね。夕飯時に上野家の前を通ると、いつも“おふくろの味”といった和食のいい匂いがしてきたのを覚えています」
また上野の母はどこか義母・平野に似ているところもあったようだ。実母がよく通っていたという地元の喫茶店主はこう振り返る。
「樹里ちゃんのお母さんは目がパッチリしていて、色白の美人さんでした。性格はすごくサッパリしていて、思ったことをなんでもストレート言ってくるタイプ。でも、それが全然嫌味じゃなくてね。本音トークでみんなを笑わせてくれる、とても明るい方でした」
大きな瞳に色白な肌、得意の料理をしながらハイテンションなおしゃべりで周囲を明るくしてくれる。そんな平野に、上野は亡き母の“面影”を見いだし、結婚への思いを強めたのだろう。
結婚発表後、本誌は平野の自宅へ向かった。彼女に新妻・上野について聞いたが「ごめんなさい!コメント以外のことは言えないんです」とひとこと。そのまま中へと入っていったが、その表情は笑みをたたえていて嬉しさがあふれているようだった――。