「妻がお世話になっていた病院の近くを通ったとき、いまでもあのときの不安が胸によみがえってくることがあります。もう退院から7年も過ぎているのですが……。それくらい私にとって、カミさんのがん宣告は衝撃的でした」
俳優・川野太郎(56)の妻・珠美さん(54)が子宮頸がんと宣告されたのは’09年8月のこと。しかも、その病状は、もっとも重いとされるステージ4bだった。だが珠美さんは治療の結果、奇跡の生還を果たす。川野夫婦はどのように末期がんと向き合い、そして、克服したのだろうか。
「僕のカミさんは専業主婦で、長男(21)と長女(18)の2人の子供がいます。カミさんは太陽のように明るくて、わが家のムードメーカーだったんです。そんな彼女にがんが見つかったのは7年前の夏でした。その1〜2年前から体調は悪かったのですが、悪い診断が下ることを恐れていたのか、検査は受けても結果を聞きに行かずにいたようなんです。でも、カミさんの妹が説得してくれたおかげで、あらためて総合病院で婦人科検診を受けることになりました」
すると検査後、病院から「結果はご主人と一緒に聞きに来てください」という連絡が。
「何か嫌な予感がしながらも2人で行くと、先生から『子宮頸がんの中期ぐらい。ステージ2bかそれ以上です』と告げられて……。『がん』と聞いて瞬時に浮かんだのは『命が危ないのでは』ということ。それから頭の中が真っ白になり、全身からドーンと力が抜けてしまいました。カミさんも言葉も出ない様子でした。少し震えていて、涙がポロポロこぼれていたんです。それで僕は、頭の中が真っ白になりながらも『先生、どこで治療を受けたらいいですか』と聞いたんです。『どうなっても絶対恨みません。ですからどうか教えてください。先生ご自身がかかるとしたら、どの病院ですか?』と」
最初は答えをためらっていた医師。しかし、川野の熱意に押され、日本最大のがん専門病院・がん研有明病院(東京都江東区)の名前を挙げたという。
「その時点では、どんな治療になるかも決まっていませんでした。でも先生の言葉を神のお告げと思って、すぐに紹介状を書いてもらい、秋には入院することになりました。僕はショックのあまり具合が悪くなってしまって……。情けない話ですが、最初の1カ月はほとんど見舞いに行けなかったんですよ。あらためて検査してみると、カミさんの子宮頸がんはステージ2bどころか、ステージ4bだったんです。リンパに2センチ大、子宮には6センチ大の腫瘍。傍大動脈リンパ節転移もあり、そうなると手術もできないので、彼女は抗がん剤と放射線の同時治療を受けていました」
放射線は毎日、抗がん剤は6回、それに体の中から放射線を当てるラルスという治療も4回行った。
「薬や放射線の副作用もありました。髪は薄くなる程度だったものの、食欲がなく、下痢や吐き気などに苦しんでいましたね。入院中盤以降は痩せていき、クターッとしている感じで、見ているほうもつらかったです。でも、そんななかでも、カミさんは『気持ち』を大事にしていたそうなのです」
がんに関するさまざまな本を読んでいた珠美さんだったが、あるときをさかいに「がんと闘う」という考えを捨てていた。
「『もともと、この細胞も自分の細胞だった。それがたまたまがん化しただけだから、やっつけるという気持ちは持たない』と。患部をさすって『私の細胞よ、無毒化してください。できるならば正常細胞に戻ってちょうだい』と、語りかけていましたね。また、生存率などのデータも目にしないようにしたと言っていました。それよりも今日一日を生きていられることに感謝し、『神様、もし私がまだやらなければいけないことがあるのなら、どうぞ生かしてください』と、祈っていたようです」
そんな妻の姿を見て、川野も夫としての「気持ち」を届けることを決意した。
「さすってやるだけでも痛がるので、優しく手を当てることしかできませんでしたが、『早くよくなれ』と、ありったけの思いを込めて『手当て』をしたんです」
そんな2人の祈りが天に届いたのか、入院から2カ月半後、治療の効果が認められ珠美さんは奇跡的に退院。家に帰るや、家族4人で肩を抱き合い号泣した。
「いまもカミさんは半年ごとの検診を受けていますが、おかげさまで穏やかな日々を送っています。でも、彼女の入院生活を経て、夫婦関係も少し変わりました。『ありがとう』『おやすみ』『行ってらっしゃい』−−それまで何げなく言っていた日常の挨拶も、今では、心を込めて言うようになったんです」