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視聴率20%超をキープする、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。残り3カ月は待望の“編集者・常子”の登場となるが、モチーフとなった大橋鎭子さんと『暮しの手帖』編集部について振り返ってみたい−−。

 

大橋鎭子さんと天才編集者・花森安治さんの出会いがなければ『暮しの手帖』は生まれなかった。そんな花森さんの素顔とは?一人娘の土井藍生さんが、編集者時代のエピソードを初めて語ってくれた。

 

【癇癪持ちですぐに怒鳴る】

編集部員がダメな原稿を書けば「下手くそだ!」と容赦せず怒鳴るのが花森流だ。

 

「叱るときには、編集部員みんなの前。“仕事の話は全員に共通するもの”という主義だったようです」(土井さん・以下同)

 

なかには傷ついて「ビルの上から飛び降りてやろうと思った」とこぼす編集部員も。

 

「父も気まずい空気を察して独身者であれば『メシ食いに行くか?』と誘うこともあったと聞いています。部員がたくさん食べると喜んだようですが、遠慮したりすると、また機嫌が悪くなったり。本当にやりにくい人だったでしょうね(笑)」

 

【“将来”を見据えたつくり方】

写真、イラストなども自らこなす花森さんのこだわりは、撮影用小道具の座布団の柄や色にまでおよんだ。鎭子さんは、花森さんの希望に沿うような布を都内中探しまわったが見つからない。そこで、わざわざ布を染めて座布団を作ったことがあった。

 

「それほど苦労したのに、雑誌に掲載されたのは白黒の写真でした。鎭子さんは『カラーページじゃないなら、どうしてこの色?』と詰め寄ったそうですが、父は『もうすぐカラーの時代が来る。今からそのためのセンスを磨いておきなさい』と答えて、鎭子さんを納得させたそうです」

 

【“独裁者”叱れるのは1人】

花森さんに無理難題を押し付けられても「はい、はい」と冷静に対応する鎭子さんだが、いざというときは優しくしていられない。

 

「父は編集部の個室で、毎号、表紙の絵を描いていました。部屋から出て作品をみんなに見せて、反応がいまひとつだと、また部屋に閉じこもって描き始めるんです。時には、締め切りに間に合わないのではないかと部員がハラハラしながら待っていることも……。そんなときは、鎭子さんが『無理?それをやるのが編集長でしょう!』と部屋にのり込む(笑)。これができるのは鎭子さんだけでしたね」

 

【遺言は最後の表紙】

「父は、自分が亡くなった直後に発売される『暮しの手帖』の表紙には『このマフラーをした赤い帽子の女の子の絵を使ってくれ』と、鎭子さんに託していたそうです」

 

それは、一人娘の藍生さんをイメージした絵だといわれているが……。

 

「でも家族のことはあまり心配していなかったと思います。父が亡くなる直前まで気にかけていたのは雑誌の行く末でした。雑誌が生き残っていかなければ、読者や編集部員の“暮らし”が守れないと−−」

 

そんな花森さんが生涯をかけて愛情を注いだ『暮しの手帖』は、今も多くの読者に支持されている。