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加山雄三(80)が3月2日、事実上のオーナーである船「光進丸」の炎上について会見を行った。光進丸は自身が設計を勤めた船であり、加山にとって“相棒”のような存在。炎上したことについて、こう胸中を明かした。

 

「これほど悲しいことはない。長いこと私を支えてくれた。多くの方と楽しい時間を過ごした。思い出は山ほどです。半身を失ったぐらいつらい」

 

炎上する光進丸の映像を見たときの気持ちについて「ショックで……。夢であってほしい。うそだろうと」と語った加山。修復できる可能性について問われると「まず不可能だと思います」と返答しており、“永遠の別れ”を覚悟しているようだ。そして会見の終盤では“相棒”を「ありがとう、よく頑張ったな」と労い、感謝の気持ちを表した。

 

「申し訳ないと同時に感謝の気持ち。心で手を合わせた。よく今まで頑張って我々に幸せを与えてくれたなと。そんな気持ちでいっぱいです」

 

俳優を志した当時、加山は「お金を稼いで、自分の船を造りたい」という一心だったと10年のインタビューで明かしている。ずっと船に思い入れのあったという加山はもともと、俳優を志すつもりはなかった。しかし「(加山の父を倣って)俳優で一稼ぎして、船を作ればいいじゃないか」と友人に助言され、それがキッカケで業界に足を踏み入れたという。

 

同インタビューでは続けて、14歳のころから船の設計図を書いていたと告白。15歳のとき、海の底を見るためにグラスボートを作ったという。

 

「結局は人間は遊びたい、楽しみたい、それから興味を持つことによって、発明であったり工夫していくんだと思いますね。『必要は発明の母』と言うじゃないですか。まさにその船は自分にとって必要だったんです」

 

昨年10月のインタビューで加山は、船上での音楽制作や友だちを呼んでパーティを楽しんでいると明かしていた。光進丸を海に放ち過ごす時間は、加山にとって“安らぎのひととき”でもあるようだ。

 

「ここにいると心が休まるよ。都会で生活していると、ストレスがたまるだろ。そうすると朝に晴ればれと目覚めることがなくなる。ここは緑がいっぱいでマイナスイオンが出ているから気持ちがいいんだよ」

 

そして、光進丸との時間は“自分へのご褒美”であると語っていた。

 

「ここはオレにとって家みたいなもの。若いころは忙しくて年に2回ぐらいしか乗れなかったけど、今はやっと船上生活もできるようになった。これまで一生懸命、働いてきたんだからいいだろ?」

 

遊びや安らぎを共にした“相棒”を失ったいま、それでも前を努めて向いているという加山。冒頭の会見をこう結んだ。

 

「とにかく前を向いて、心して……人生は試練がいろいろあると思うんで、こんなことでめげないで、ご迷惑をおかけしたことをお詫びしながら、前を向いて頑張っていきたい……夢は捨てていません」

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