女優・高畑淳子(61)の長男・高畑裕太容疑者(22)が23日、滞在先のホテルで女性従業員に性的暴行を加えたとして逮捕されました。
今回の逮捕にあたり、高畑容疑者がなぜこのような罪を犯したのかについて、さまざまな憶測が飛んでいます。彼のアイデンティティの問題なのか、彼に身体的問題があったのか。現段階ではわかっていません。今後真実が明らかとなり、被害者女性の苦痛が癒え、そして高畑容疑者も罪を償っていただきたいと思います。
ブレイク中の二世俳優の事件とあって連日さまざまな報道がなされていますが、同時に「二世芸能人」という響きだけで、幼少から何不自由なく甘やかされて育ち、問題児となってしまった印象を抱く人も多いようです。
もちろん全員とは言いませんが、改めて考えるとなぜ、「二世芸能人」とよばれる人たちは、ワガママだったり個性が強すぎたり、ときには「ログでもない」なんて表現されることが多いのでしょうか? 考えていくと、テレビという特別な場所との距離感が、原因の一端を担っている気もしてきます。
■二世芸能人のイメージが悪くなる理由?
いわゆるご両親が芸能人という人物は、芸能界を探すと実は思っている以上に多くいらっしゃいます。たとえば歌手の宇多田ヒカルさんや俳優の佐藤浩一さんなど、あまり言われることはありませんが、くくってしまうとご両親は芸能人なので、「二世」といえます。
他にも探していくと両親の名前がワンセットで出てくることがないような一流の歌手、俳優、タレントなどもたくさんおり、一概に二世、言い方を変えると「芸能人親子」だから悪いという印象にはなりません。
しかしマスコミにはどうしてもニュース性の高い人物、つまり悪目立ちする人物ばかりを取り上げる傾向があります。
そのため芸能人の子供としての散財エピソードや、幼少期のぶっ飛び子育てエピソード、世間離れエピソードが積極的に取り上げられる傾向があり、その結果「二世芸能人とは突然スキルもないのにテレビに出はじめる人」や、「親の権力でワガママな態度をとりがち」なんて悪いイメージがついてしまうようです。
■子供の頃の特別感が個性をおかしくさせる?
そもそも芸能人の子供というのはどのような扱いを受けるのか、想像したことはありますか?
各家庭により異なるものですが、多くの芸能人、そしてテレビ業界の子供というのは金銭的に裕福なだけでなく、幼少期に優越感を覚えるような経験が多くあるといいます。たとえば学校では両親の出演番組が話題に上がり、同級生から「凄い凄い」と尊敬されることも多いでしょう。
筆者の友人にも業界人のご子息がおりましたが、幼少のころは有名人の子供というだけでテレビ出演をした経験があったようです。いわゆるドラマのちょっとした子役を「出てみたい」という好奇心だけでもらっていたり、両親と観劇をした場合は楽屋に立ち寄るのが当たり前だったり。いわゆる両親の仕事仲間である芸能人の方から誕生日プレゼントをもらうことも多々あると教えてくれました。
このような生活をしていれば、自分に何か特別な能力がなくとも「自分は他の人とは違う」という強い個性が芽生えるのもわかりますね。それを生かすも殺すもご家庭内での教育と本人の自覚次第ではありますが、これで勘違いを起こすなと言われてもなかなか難しいような気もします。
今回逮捕された高畑容疑者の場合、お母様は国民的と称されるような大女優です。第一線で活躍し続ける女優の息子であれば、その特別感は想像をはるかに超えるものだったでしょう。
一部では女優という多忙な中での子育てが(淳子さんは息子さんを基本祖母に預けて、可能な限り子育てをしていたそう)高畑容疑者の異常な性格につながったという見方もあります。しかし、そうなると「母親が不在がちの子育ては全てうまくいかない」という結論につながります。はたしてそうなのか。そういった母親批判について、筆者は首をかしげる部分が残ります。
両親が芸能人や業界人の子供には、特別感を感じたのちに覚える感覚があるといいます。 それは「テレビは特別な場所じゃない」というものだそうです。
テレビは子供にとって、一度は憧れる場所だったりするものです。しかし彼らの場合、テレビには自分の親や親交のある人物が写っているわけで、別世界や憧れを抱く場所とはちょっと違うといいます。その結果、ご両親の力でテレビ出演を果たしても実力不足が露呈したり、それを指摘されても危機感を感じられない。なんてこともあるのかもしれません。
今回事件後の報道の大きさをみて、改めて「二世芸能人」の偏りについて、非常に感じることがありました。母親の責任問題や息子の家庭環境、そして強すぎる個性にばかり注目が集まっている印象がありますが、被害者へのケア、そして事件原因の究明が早期に行われることを祈るばかりです。