《今日、母が私を忘れていた。今年で米寿を迎える母 母の夫、私にとっての父が他界してから約14年が経つ あの父が亡くなった夜から、母は少しづつ悲しみを忘れたいのか、現実逃避していった気がする 私は敢えて認知症なんて言葉は使いたくない 悲しみを忘れたかった母の気持ちがわかる気がするから》

 

8月20日、真矢ミキ(54)がブログで、同居する実母・雪子さん(87)への率直な心情を綴った。

 

「08年に西島数博さん(46)と結婚後はお母さんが心配で、週に4回は“スープの冷めない距離”の実家に通っていました。結婚6年目に西島さんの方からお母さんに『一緒に住もう』と誘ってくれたときは“感謝で胸がいっぱいになった”と話していました。真矢さんは今、『白熱ライブ ビビッド』に出演のため、平日は朝4時半には起床。帰宅後はお母さんの介助をしながら、夕食をつくり、翌日の放送の調べ物を一通り済ませて夜11時に就寝する生活を続けています」(友人)

 

そんな彼女が明かした悲痛――。

 

《だけど今夜は一人ただ、どこまでも歩きたかった 泣きたいという衝動的な娘としての感情と それで良いんだといいきかせる、大人になっている自分がいることに気づいた夜だった》

 

もともと宝塚に興味がなかった真矢をこの道に導いたのが、女子高の演劇部出身で宝塚ファンだった母・雪子さん。「真矢みき」という芸名を考え出したのも、彼女だった。

 

「考えていた“友七緒”や“展七緒”という芸名は先生からダメ出し。そのとき雪子さんから『真矢みきはどう?』と。真矢さんは幼少期から破魔矢を買うのが好きで、『真っすぐ矢のように』と思いつき、あとは本名『美季』と組み合わせて“真矢みき”が生まれました」(前出・宝塚関係者)

 

以来、雪子さんは真矢をずっと支え続けてきた。

 

「お母さんは娘が載っている宝塚ファンの雑誌『歌劇』を枕元に積み上げて寝ていたそうです」(同前)

 

真矢は34歳で宝塚を退団。

 

「15年かけて男役トップスターになった真矢さんに引導を渡したのも雪子さんでした。“一人でも多くの人がトップを味わえるよう早くやめなさい”という宝塚愛が根底にあったのだと思います」(同前)

 

芸能界に転身した真矢だったが、40歳の誕生日に実父が他界。

 

「以来、雪子さんは実家でひとり暮らししていました。一方、仕事が好調で多忙を極めるようになった真矢さんが自宅マンションを改装した際、雪子さんが『寝室は結婚運が上がる方向にしなさい』とアドバイス。結婚の予定がなかった真矢さんが渋々それを受け入れたら、44歳で西島さんと結婚できたんです」(知人)

 

常に真矢の人生のターニングポイントに関わっていた雪子さん。

 

「一昨年、雪子さんが尻餅をついた程度で骨折してしまいました。その時も真矢さんは“老いるとはこういうことなのか”とショックを受けていました。今回の彼女の悲しみは計り知れません」(同前)

 

ブログの結びで《母の人生 母の思うままにあたたかい日々であってくれたらいいな》とある。母娘の“温かい日々”が一日でも続くことを心から願いたい――。

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