高島忠夫さんが老衰のため6月26日に死去したと発表された。88歳だった。
高島さんは51年に新東宝第1期ニューフェイスとなり、52年の映画「恋の応援団長」でデビュー。62年の「キングコング対ゴジラ」などの「ゴジラ」シリーズや96年の朝ドラ「ふたりっ子」(NHK総合)への出演でも知られている。また「クイズ・ドレミファドン!」(フジテレビ系)などのクイズ番組で司会を務め、「ゴールデン洋画劇場」(フジテレビ系)では映画の名解説が評判を呼んだ。
私生活では63年に寿美花代(87)と結婚し、70年から96年まで料理番組「ごちそうさま」(日本テレビ系)の司会を夫婦で26年間担当した。また65年には次男・高嶋政宏(53)が、66年には三男・高嶋政伸(52)が誕生。2人はともに俳優の道を選んだため、“高島ファミリー”としてお茶の間で親しまれた。
各メディアによると政宏は「母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです」とコメントし、政伸は「穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父、高島忠夫を応援して下さった皆様のおかげだと思います。心より感謝を申し上げます」と感謝しているという。
高島さんは90年6月には本誌に登場。“高島ファミリー”の活躍ぶりに「皆さんに“息子さんがご活躍でいいですネェ”と言われるんです」「政宏も政伸も、もう最高の親孝行をしてくれています」と語っていた。
公私ともに順風満帆だったが、晩年は病と闘い続けた。パーキンソン病を患い、10年には不整脈で心臓のペースメーカーを付ける手術も受けたという。98年には「うつ」を発症。その闘病記「『うつ』への復讐」はドラマ化するほどの反響を呼んだ。
07年2月、本誌で高島さんと寿美はその苦しみを語っている。
高島さんの「うつ」が特にひどかった当時、寿美は高島さんの自殺を恐れ「家中の刃物をすべて隠し、風呂の水は必ず抜いた」という。経済的にも追い詰められ、「お金も地獄、病も地獄」と回想。さらにこんなエピソードを明かしていた。
高島さん(以下・高)「それまではお金のことは全部、ぼくと税理士さんでやってたからね」
寿美(以下・寿)「どこにいくらあるかもわからない。通帳さえ見たことがなかったから」
高「うつのせいなんでしょう。ボーッとした頭である日“家には一銭もお金がない”“借金がある”って突然思い込んでしまって。みんなにそう伝えてね」
寿「そうそう。私も“家、売らなあかん”って本当に心配した。いまさら街角に立ってみたところで、もうどうしようもない年だし(笑)」
そんな高島夫妻を助けたのはやはり“ファミリー”だった。政伸が銀行を周り「あそこの銀行に口座があった、こっちにもあった」とお金を見つけ出してくれたという。
家族に支えられ、「うつ」に立ち向かった高島さん。寿美も「私自身も本当に辛い時期がありました。頑張りすぎてストレスがたまって」とサポートする苦しみを明かしていたが、離婚については「そんなこと、考えたこともないです」と語った。さらに「介護は財産だった」とも明かしている。
寿「『ごちそうさま』を26年やらせていただいて、私がしゃべったのなんて数えるほど。それぐらい忠夫さんは、よくしゃべってた」
高「この人、横で頷いてるだけでしたよ。それがいまや、僕の代わりに仕事して、税金のことも家のことも全部やって。ホントに感心します」
寿「生まれ変わったのかもね(笑)。それぐらい、介護の経験は私のすごい財産になりましたから」
高島さんが「いまの家内だったら、ぼくが死んでも平気ですよ」と話したところ、「いや、それはこたえる。やっぱり忠夫さんがいての私なんだから。1人になったら、それこそ私の方がうつになってしまうかもね」と語っていた寿美。そんな彼女を高島さんは、これからも空から見守ることだろう。