優しく夫を支える聖子の姿を本誌はたびたび目撃していた。 画像を見る

「みんな元気~? はじめてのシングルだけのコンサート、そして武道館コンサート記念すべき111回目です。最後まで精いっぱい心を込めて歌わせていただきます!」

 

7月5日、東京・日本武道館で行われたコンサートで明るく語るのは松田聖子(57)。来年にはデビュー40周年を迎え、今も精力的に活動を続ける聖子だが、私生活では大きな悩みを抱えていたという。

 

12年に慶應義塾大学医学部歯科・口腔外科准教授のK氏と3度目の結婚をした聖子。そのK氏が昨年に同病院を退職し、非常勤講師に。さらに、神奈川歯科大学附属病院で教授に就任したと、7月4日発売の『週刊新潮』が報じたのだ。東北大学歯学部を卒業後、ドイツでの留学を経て、慶大医学部で勤務していたエリートのK氏。これまで本誌でもK氏がiPS細胞を使った画期的な研究に取り組んでいる様子を報じ、一部では“教授就任間近”とも噂されていた。そんなK氏のかたわらで、献身的なサポートを続けてきたのが聖子だ。聖子の奮闘ぶりをよく知る芸能レポーターの城下尊之さんは、こう明かす。

 

「聖子さんは『教授になるにはまず見た目から!』と考え、あまり身なりにかまわなかったKさんを変身させました。身につけるものすべてをブランド品に替えさせたそうです。また、Kさんが研究に没頭できるように聖子さんは毎朝6時には起きてお弁当を作っていたと聞いています」

 

一般社団法人科学・政策と社会研究室代表で医師の榎木英介先生も、妻の重要性についてこう語る。

 

「私立大学では、話題性アップにつながる人を呼ぶことで大学の存在感を高めようとすることがよくあります。国立大学ではあまり聞きませんが、“奥さんの知名度”という妻の支えが出世に影響することもあるかもしれませんね」

 

多忙を極める聖子が自らを犠牲にしてまでK氏に尽くしたのには“特別な理由”があった。

 

「聖子さんのお母さんは元看護師さんで、伯母さんは院長夫人と医療に携わる親族が多かったんです。彼女自身も子どものころは体が弱く、しょっちゅう病院に通っていました。そのため、医療の世界の厳しさをよく知っています。だからこそ彼女は結婚当初から、准教授だった夫を『早く教授になって!』と発破をかけ、あらゆるサポートをしてきました。彼女にとっても“慶應大学教授夫人”は悲願だったのだと思います。また、Kさんには前妻がいたこともあって、『私が絶対に夫を成功させたい』という“後妻としての意地”もあったのではないでしょうか」(聖子の知人)

 

さらに、慶大での教授就任にはほかにない大きな魅力があると、前出の榎木先生は語る。

 

「慶應は私立大のなかでトップのブランド力があります。有名政治家や有名タレントがよく入院していますし、全国的にもほかの私大とはくらべものにならないでしょう。慶應というブランド名を出せば、教授としての講演料もかなり上がるでしょうね」

 

聖子が夫に託した“教授夫人の夢”。しかし、彼女の前に立ちはだかったのは“白い巨塔“だった。

 

「慶應大学医学部の場合、まず慶應大学出身者が圧倒的に有利になるというしきたりがあります。また論文発表といった業績を重ねた先には、派閥闘争が待っています。教授候補になっても、有力者の推薦を受けて、教授選で過半数以上を取らないといけないのです。准教授にまでなった人が、地方大学病院の教授ポストに就くというのはそこが“キャリアの終焉”だということを意味します。慶應ではこれ以上のポストには上がれないとわかったので、他大学で教授になる道を選ばれたのだと思います」(前出・榎木先生)

 

あと一歩のところで別の大学病院への“左遷”という苦渋を味わったK氏。そんな夫に聖子は今何を思うのか。前出の城下氏はこう語る。

 

「聖子さんにとって慶大教授夫人の座は最高のステータスだったでしょうから、逃した夫への思いは忸怩たるものがあると思います。しかし、気持ちの切り替えが早いのも聖子さんの特徴です。今は『あなた、おめでとう! これからは教授と呼んでもいい?』などと夫をもち上げ、励ましていると聞いていますよ」

 

また、前出の知人はこう語る。

 

「聖子さんは6月に開かれた慶應病院主催のパーティに、Kさんとともに出席したそうです。夫の元同僚がいるなかで、歌も披露して彼の功績をたたえていたそうです」

 

彼女と夫の新たな二人三脚の日々は今始まったばかりだ――。

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