8月14日、肺炎のため亡くなったと発表された渡哲也さん(享年78)。その俳優人生には、闘病がつきものだった。
72年7月に葉間肋膜炎で3カ月療養し、73年には膠原病との診断が。74年2月には胸膜癒着症にかかり、91年には直腸がんが見つかった。
97年にも早期の大腸がんが発見され、15年6月には心筋梗塞で緊急入院。晩年には呼吸器疾患などのため、外出時に酸素吸入器を手放せなかった。
そんな渡さんだったが、病を通しての“出会い”もあった。そして、そのことがキッカケで病と闘う子供達を支える活動に取り組むようになる。
「膠原病で入院した際、白血病と闘う高校1年生の青年と出会いました。渡さんはその青年と交流を深め、退院するときも青年が笑顔で送り出してくれたそうです。しかし、ほどなくして彼は天国へと旅立ってしまったのです。以降、ずっと彼のことが脳裏にあったのでしょう。のちに患った直腸がんを乗り越えたころ、『病気の子供たちに勇気を与えたい』と支援活動に乗り出しました」(芸能関係者)
各メディアによると渡さんは96年6月、悪性リンパ腫と闘う少年を慰問。同年9月には小児がんの患者や家族を招いたイベントにも参加している。そこには、舘ひろし(70)や神田正輝(69)といった石原プロに所属する俳優たちの姿も。会場全体で「上を向いて歩こう」を歌うなど、楽しいひとときを過ごしたという。
さらに本誌は00年11月、脳腫瘍を患った当時9歳の少女・岡野亜美さんと渡さんの交流を伝えている。
脳腫瘍の手術を受けて以降、辛い治療を続けていた亜美さんは渡さんと同じイベントに登壇した。しかし、ステージ裏でも亜美さんは緊張気味。その姿に渡さんは思わず、「笑顔を見せてくれよ」と声をかけた。
彼女はその言葉で打ち解けることができたようで、「サインくれる?」と一言。渡さんは快く応じただけでなく、亜美さんのお絵かき帳にこうつづった。
「亜美ちゃん、頑張れ」
勇気をもらった亜美さんは後日、渡さんに手紙を送った。そこには「わたちゃんおじさん、しぶくてすてき。またあおうね」と書かれていたーー。
06年、クイズ番組で獲得した賞金750万円を「小児がん征圧募金」に寄付したことも話題となっていた渡さん。病を乗り越えて誰かのために行動する姿は、子供たちの目に憧れの存在として映っただろう。