岡田眞澄さん「娘がいるから…」溺愛の長女が本格デビュー

「本当に娘がいるから頑張れるんです。娘が成人するのは14年後。僕はそのとき83歳です。少なくともそれまでは生きていたい。それが僕の目標なんです。結婚するとなると、20年後。さすがに花嫁姿は見られないかなぁ……」

 

05年、本誌にこう話してくれたのは岡田眞澄さん(享年70)。その溺愛していた長女・岡田朋峰(21)が芸能界デビューを果たした。

 

すでに所属事務所「セント・フォース」の公式サイトにも掲載されている彼女。今年8月、自身のInstagramで「アナウンサーとして活躍できるよう日々まい進して参ります」と意気込んでいる。

 

眞澄さんは95年、26歳年下の女性と再婚。そして98年、2人の間に長女として誕生したのが朋峰だ。当時眞澄さんは63歳。06年5月に70歳で死去しており、2人の親子関係はわずか7年ほどだった。

 

娘の成長を誰よりも楽しみにしていた眞澄さん。しかし、さきの取材の2ヵ月後には食道がんが見つかった。摘出手術を終えた05年8月末、再び本誌の取材に応じ入院当時を回想。そして、朋峰に感謝していた。

 

「入院中にいちばん心の支えになってくれたのは、やっぱり、うちの奥さんと娘。娘は毎日、僕に手紙を書いてくれたり。内容?『パパ、早く帰ってきて、一緒に遊んで』ってね」

 

快方に向かっていた眞澄さんだが、がんの転移が判明し再び入院。そして帰らぬ人となった。

 

その直後の06年6月、眞澄さんの姪である岡田美里(59)はこんな“親子愛”エピソードを本誌に明かしている。

 

「うちの娘2人がミュージカル『アニー』のクリスマスコンサートに出演したとき、トントン(眞澄さんの愛称)と奥さん、朋峰ちゃんの3人で見にきてくれたんです。そのとき、朋峰ちゃんがすごく喜んでくれたのがきっかけになって、翌年(03年)、トントンは久しぶりに『アニー』に出演することになりました。きっと朋峰ちゃんに見せたかったんだと思うし、彼女に自慢できる仕事をしたかったんじゃないかしら」

 

亡くなる前日、朋峰の弾くピアノの音を聞いて「これからは神様と一緒に聴くからね」とつぶやいたという眞澄さん。その危篤の際に朋峰が「7歳ながらに理解していたのか、泣きだしそうな目をして、何度もパパの手を握ったり、ほっぺに触れたりしていた」とも美里は明かしている。

 

親子の別れから12年後、朋峰は「ミス・インターナショナル」の日本代表に選出された。栄光に輝いたばかりの18年10月、当時20歳だった彼女は本誌に登場。そして、眞澄さんから“教わったこと”についてこう明かしている。

 

「父が常々『20歳になるまで死ねない』と言っていたことは、私も聞いています。一般的に言っても20歳は節目の年ですが、私にとっては父の言葉もあって、“ご縁を感じる年齢”ということもあり、出場を決意したのです。父は、“どんなときにもエレガントに、気品を忘れないように”とも教えてくれました。日本代表選出大会のステージで父に会えたと思いますし、『よく頑張ったね』と、ほめてくれていると思います」

 

そして今回の本格的なデビュー。眞澄さんもきっと、その成長を喜んでいることだろう。

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