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俳優の伊勢谷友介容疑者(44)が麻薬所持の疑いで逮捕され、2週間が過ぎました。

 

今回のスクープで注目すべきは彼の逮捕をキッカケに溢れ出した、モテ逸話と合わせて語られるダーティーな姿です。

 

DV癖や度を越した愛煙家、キレ癖などなど。奇抜を越した彼のプライベートな一面が報じられるたびに、多くの人は「なんとなくそう思っていた」と疑念をさらに強めているようです。

 

ただここで、筆者には気になることがあるのです。彼の麻薬所持や使用については適切な償いが必要であるのは事実です。しかしそれと今回の報道で多く語られるDVの問題は、また別のケアが必要だということです。

 

そもそもDVについて多くの人は「その人の性格だ」とか「そういう気質があった」と大雑把に片付けがちです。しかし、DVは“コミュニケーションの誤った認知”によって身についてしまったものです。

 

筆者はDVを容認しているわけではありません。ただ伊勢谷さんを始め、DV問題を起こす人が一人でも減って欲しい。それと同時に悩まれている方が一人でも減るためにも、「なぜ人はDVをしてしまうのか」や「被害者側がやるべきこと」を考えてみたいと思うのです。

 

■DVの本質はコミュニケーションの誤った認知

 

「DV(ドメスティック・バイオレンス)は悪い行いである」。これはその通りです。言葉でのやり取りを拒絶し、自分より弱いものを力でねじ伏せるコミュニケーションのとり方は、あってはならない行為です。

 

しかしDVを行う人自体が、生まれながらに罪人のように語られることには違和感があります。

 

なぜならDVをする人自身も、元をたどれば暴力をコミュニケーションの1つの手段として覚えてしまったという“誤った認知の被害者”でもあるからです(※何度も言いますが、だから暴力を振るう側も仕方ないとか、悪くないとか言いたいのではありません)。

 

私たち人間という生き物は、見たものや体験したことの中から学び取ることが非常にたけています。動物はどこの国で生まれても同じ鳴き声ですが、人間はその国の言語を話します。

 

この“見たものや体験したことを学び取るのが上手い”という人の性質が、DVやモラハラなど極端なコミュニケーションの癖の習得へつながる要因と言われています。

 

例えば親が暴力を振るう家庭で育った人は振るわれたときに怖くて嫌だと感じていても、無意識のうちに親子や夫婦のコミュニケーション=力で無理やり自分の都合を押し通すものという誤った認知が組み込まれやすくなります(全員が必ずそうなるというわけではありません)。

 

被害者としてその瞬間はとても嫌な気持ちになったとしても、心には暴力以外の正しいコミュニケーション方法が知識や経験として蓄積されない。そのため、基準が歪んでしまうのです。

 

また、親が暴力を振るわない場合でも同じです。感情の出し方や伝え方を正しく学べず育った人は、いわゆる感情表現が上手く出来ずに極端なキレ癖から暴力に走ることもあります。

 

感じたことをこまめに出すことができず、溜め込んでいく。そしてある瞬間に爆発させた結果、伝え方のエネルギー調整ができずに暴力などの極端な行動でのコミュニケーションになってしまうのです。

 

感情を出す=キレる=暴力、という図式が無意識に身についている例です。よく事件化する家庭内暴力のニュースなどは、これが当てはまるかもしれません。

 

■罪悪感とセットだからこそ、優しい

 

またDVをする人の多くはなぜか、普段は「優しい」「人当たりがいい」「真面目」といったプラスの側面を併せ持っていることがあります。なぜ揃いも揃ってこうした優しそうな性格が暴力的な側面とワンセットになるのかというと、根底には本人の中に大きな罪悪感を抱えている部分が大きいと私は思います。

 

暴力を振るう自分に対しての罪悪感。振るってしまった相手への罪悪感。この2つを強く抱えているからこそ理性的になれるときほど優しく人当たりが良く、魅力的な振る舞いをしてリカバーしているのかもしれません。キレて暴力を振るった後に泣いて謝罪するのも、結局は罪悪感が高まってのことです。

 

今回の伊勢谷さんのプライベートがどうだったかは、推測の域を出ません。ただ社会貢献活動などにも力を入れていたことを考えると、彼自身も常に深い罪悪感や自分自身への欠如感などと向き合っていたのかもしれません。

 

■DV被害者が1番に考えることは早期安全

 

DVの根本原因をみていくと基本的に性格でも生まれつきの性質でもないのが分かっていただけたかと思いますが、どちらにせよ短期間での克服は難しいものです。

 

筆者は過去に、恋人からのDV経験がある女性に取材をしたことがあります。彼女を始め、当事者になるとどうしても正常な判断ができないもの。そのため結構な心の傷(体の傷もそうですが)を負うまで、とりあえず我慢してしまう人が多いように思います。

 

体の傷は時間をかければ治るものがほとんどですが、心の傷は一度負うと回復に専門的なケアが必要となります。結果として体の傷を治すよりも、長い時間を要することになりがちです。その後の人生を大きく変えてしまう可能性も出てくるでしょう。

 

だからこそ暴力被害を受けたらどんなに軽くても、早期にまずは心身の安全を確保して欲しい。相手のケアや関係の再構築は安全からくる冷静さを取り戻してから、専門的な知識のある人や機関を頼りながら取り組んで欲しいのです。

 

今回の伊勢谷さんの逮捕報道をきっかけにDVというものがライトに取り上げられることで、多くの人にDV=性癖やその人の性格的な難として語られることがあったように思います。

 

しかし本質はそうではないし、DVをはたらく人自身も深い苦しみの中にいることは最後にお伝えしておきます。

 

もうすぐ伊勢谷さんも保釈されることでしょう。これからは大麻と合わせて心のケアを適切に行い、彼の才能が再び正しく発揮されることを切に願うばかりです。

 

(文:おおしまりえ)

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