しかし’90年には信頼するパートナーと死別し、経営は次第に悪化。’93年には、ブランドを手放すことになった。それでも、実弟・紀年さん(79)は当時をこう振り返る。

 

「私は、あの時期に会社を手放せてよかったと思っているんです。というのも、経営者だったころの兄は、好きな仕事だけに打ち込むわけにはいきませんでした。でも、晩年は一人のデザイナーとして自由に生きていたんです。

 

衣服以外のデザインをしたり、油絵に挑戦して個展を開いたり。思いのままやりたいことをやって過ごせていました。それは、兄がもっとも求めていたことでした」

 

今でも年に1度は食事会などを開き、必ず顔を合わせていたという高田家のきょうだいたち。紀年さんは遺骨が日本に帰ってきた後、こんな“追悼プラン”を思い描いているという。

 

「正直、今後のことはまだ何も決まっていません。ただあくまで私個人の意見ですが、遺骨が戻ってきたらまず一部を姫路にある先祖代々の墓に入れたい。そして残りは、エーゲ海などに散骨してあげたほうがいいのではと思っているんです。

 

今年の夏もバカンスに出かけていた思い出の地ですからね。日本の小さなお墓に入るよりも、のびのびして兄らしいんじゃないでしょうか。向こうの人たちも『KENZO!』と言って慕ってくれますし。いつか、きょうだいみんなで行って見送ってあげたい。そんなことを考えています」

 

KENZOは、亡くなった後も世界を旅し続ける――。

 

「女性自身」2020年10月27日号 掲載

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