“自分の場所とか生活とか自分の置かれている状態がすごく嫌”だったという彼女にとって、ミュージカルスクールでのレッスンや、音楽を聴いている時間は、“自分じゃないものになれている時間”だったという。
次第に音楽にのめり込んでいった彼女は、小学5年生のときに1人で沖縄へ転校し、有名ダンススクールに入所した。
「でも、その年ごろの女の子がたった1人で夢を目指すといっても大変ですよ。結局、中学2年生のときに岐阜に戻ってくることになりました。そのときお母さんと“音楽で芸能界デビューを目指すことはやめる”と約束したそうです」(中学時代の同級生)
それでも高校時代などにパンクバンドのメンバーとして活動しているうちに、再びLiSAの胸に、もう一度夢を目指したい、という思いがよみがえってきた。そして上京を決意したものの、母親は大反対だったという。
「お母さんに上京することを事前に伝えていなかったそうで、賃貸マンションの保証人をお願いしたら、お母さんが怒ってしまって……。でもLiSAさんも決意を固めていましたから、とりあえず東京で暮らしている友達の家に転がり込んで、デビューを目指したそうです」(前出・中学時代の同級生)
家族と暮らしている市営住宅を脱出し、東京に向かったという彼女。実はLiSAの“夢をあきらめない力”は、上京を反対していた母から学んだものだったのだ。
前出の一家の知人女性は言う。
「LiSAちゃんのお母さんは離婚後に、知り合いの美容院で下働きをしながら、資格を取るための学校にも通っていました。彼女は若いころは美容師になるのが夢だったのだそうです。2人の子供を育てながら、数年かけて目標どおりに美容師になったのですからすごいですよね。いまでは自分のお店を経営しています。
自分の夢をしっかりかなえたお母さんの背中を見て育ったから、LiSAちゃんは歌手の夢をあきらめずに、目指し続けることができたのでしょう」
彼女のブログのタイトルになっている「今日もいい日だ」は、実母が教えてくれた言葉なのだという。
《「毎日いいことは絶対にあるんや。『今日もいい日だっ』って言ってから寝るんやよ」と(母が)繰り返して去っていったんです》(前出・母娘での対談より)
’10年にメジャーデビューを果たしてからすでに10年、LiSAの日本を席巻する大ブレークの陰にあったのは、母の背中の教えと言葉だったのだ。
「女性自身」2020年11月17日号 掲載