■実父が明かしていた原田への感謝
原田が新聞のインタビューで《いちばんの相談相手》と語っていた父・聰さんが逝去したのは’17年。長崎で離れて生活していた聰さんは生前、本誌に、「娘たちが東京で、それぞれ頑張ってくれているのが私の励み」、そう語っていた。
いっぽう三重県で喫茶店を営んでいた椎名の実母が逝去したのは’18年末。当時、椎名の親戚は本誌にこう語っていた。
「最後は何も食べられなくなっていた母親にとっていちばんの栄養は桔平の笑顔。桔平は多忙のなか、片道5時間近くかけて、よく三重に帰ってきてくれていたんです」
共演以来、コンタクトを取り合ってきたという原田と椎名だが、
「老親の看取りという共通の体験を話し合ったことも、2人の距離を縮めた理由の1つだそうです」(原田の仕事関係者)
夫婦問題研究家の岡野あつこさんは次のように語る。
「20歳とか30歳とか年下の新パートナーを選ぶ芸能人も多いなかで、熟年同士で愛を育んでいることが多くの人の共感を得ているようです。50代にとって親の介護は大きな問題です。実は親が亡くなったことにより、“パートナーに介護の負担をかけずにすむ”と、交際や結婚に踏み切るケースも多いのです」
好感度熟年カップルの今後にも注目が集まりそうだ。