87年6月14日、数々のヒット曲を引っ提げた自身初のワールドツアー「フーズ・ザット・ガール・ツアー」を日本からスタートさせたマドンナ 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にあこがれたアーティストの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

’80年代前半、ヌードモデルの仕事で無名時代をしのぎ、歌手になる夢を追ったマドンナは、これまで全世界で3億枚以上のレコードセールスをあげ、もっともリッチな女性歌手といわれるほどのアメリカンドリームを実現した。

 

「とにかくヒット曲が多い。日本のテレビCM(三菱電機・宝酒造など)でも、よく楽曲が使用されていました」

 

そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。

 

「この’80年代のマドンナ人気を後押ししたのが、クオリティの高いMV(ミュージックビデオ)。『ライク・ア・ヴァージン』(’84年)ではベニスのゴンドラでセクシーなダンスをするマドンナの姿が衝撃的。『エクスプレス・ユアセルフ』(’89年)のPV(プロモーションビデオ)は、映画『エイリアン3』や『ファイト・クラブ』などのデヴィッド・フィンチャー監督が手掛けていました」

 

こうしたMVは当時、洋楽ファンに人気だった『ベストヒットUSA』(’81年〜・テレビ朝日系ほか)などで放送された。

 

ヌードモデルから歌手に…“夢をあきらめない”マドンナの魅力
画像を見る 87年6月11日、大阪国際空港に降り立ったマドンナ。世界的スーパースターの来日に、多くの報道陣が詰めかけた

 

「当時、レンタルCD店でアルバイトしていましたが、『ベストヒットUSA』が放送された土曜深夜の翌日は、洋楽アルバムを借りに来る人が増えました」

 

幼いころの母との死別、父や継母との確執を持つマドンナには、親の愛情に恵まれず孤児院で育ったマリリン・モンローとの共通点を感じるという。

 

「『マテリアル・ガール』(’84年)のPVで、モンローの主演映画『紳士は金髪がお好き』(’53年)のワンシーンをオマージュしていることからも、影響を受けていることがうかがえます」

 

■来日公演でのファンの心を打った呼びかけ

 

つらい過去を背負いながらも、成功を信じ、スターに上り詰めた生き方、強さが魅力となった。

 

「私もマドンナの来日公演に行きましたが、親との確執を描いた『リヴ・トゥ・テル』(’86年)を歌う前、日本語で『夢はかないます』と観衆に呼びかけた記憶があります。どんなに困難でも、夢はあきらめず実現する努力が大切なんだというメッセージに、心打たれたファンは多かったはず」

 

プライベートでは映画監督で俳優のショーン・ペンや、映画監督のガイ・リッチーと結婚、離婚を繰り返した。最近では21億円の豪邸を購入、’20年の米大統領選で、バイデン大統領に投票したことが報じられるなど、つねに注目を集めている。

 

「自己プロデュース力に長け、バッシングやスキャンダルも武器にして活躍を続けるはずです」

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