■祖父は田畑をすべて売って那覇市内のラブホテル経営
沖縄暮らしの決断の背景には、沖縄に住んでいた祖父の影響も大きいのでは、と前出の映像関係者。
「幼少期、大好きな祖父に会いに山田さんはよく家族と沖縄に行ったそうです。広大な土地と畑を所有していた祖父はやり手の実業家でした。あるとき、農業や林業で蓄えた財をすべて売り払い、那覇市内で5階建てラブホテルを築き成功したんです。新規ホテルが次々と建つと、今度は改築のため還暦にして銀行から新たに2千万円借金してまたV字回復。山田さんは祖父の圧倒的な行動力を尊敬していたんです。彼が『全裸監督』のオファーを受けたのも、モデル・村西とおる監督にどこか祖父の面影を感じたのかもしれません」
山田は初著書である随筆集『実録山田』(ワニブックス)で、こう振り返っている。
《おじぃはいつも同じ言葉を口にした。「真面目にやりなさい。それでも文句を言うヤツはほっとけばいいさ。それはただのジェラシーさ」(略)。最後の最後まで「頑張りなさいね」と応援してくれたおじぃは僕達家族の心の中に生き続けている》
世間体にとらわれず、自分が興味を持ったことだけをとことん突き詰めてやり遂げる彼の精神は祖父から受け継いだものなのだろう。山田は自分の息子にも“大自然の中での生活が精神面を鍛えてくれる”と確信しているという。
「山田さんはこうも言っていました。『子供は勝手に大きくなる。親の役目は、周りの人間や学校、会社など、環境面を整えるサポートだけ』と」(前出・山田の知人)
前出の『婦人公論』で山田自身、こう語っている。
《こんな役をやって子供がいじめられたらどうしよう、と思ったら『全裸監督』はできないですよね(笑)。僕は「俺は誰にもできないことをやっているんだよ」と胸を張っていたいし、子供がいじめられる心配をするくらいなら、いじめられてもビクともしない肉体と精神を一緒に作ればいいと思う》
いま、山田は祖父が愛した沖縄の北部エリアまで定期的に息子と海遊びに出かけているという――。