石原さとみ「転機は長崎県」人生を変えた被爆者との13年交流
画像を見る 18年『高嶺の花』の撮影で自転車に乗る石原

 

■人生の転機となった本多さんとの再会

 

インタビューでは、《本多さんと交流を続けているうちに、本多さんが私のことを「友達」と呼んでくれるようになりました》とも語っている石原。10年以上にわたって交流を重ねてきた本多さんの存在は、石原の“人生の目標”を明確にしたという。

 

「初対面以降も2人は年賀状などのやりとりを続け、’15年に石原さんが本多さんの元をプライベートで訪れたのです。大喜びした本多さんは、『生きていて良かった』と涙を流したといいます。本多さんの涙に胸を打たれた石原さんは、『一瞬で誰かの心を明るく励ますことができる人になりたい』と決意。本多さんとの再会が、『人生の転機となった』と語っていました。

 

そしてその決意が、東京五輪で聖火ランナーとして走る原動力となったのです。新型コロナがなければ、本多さんも沿道で応援する予定でした。感染防止のためネット中継越しでの応援となりましたが、本多さんは『頑張れ!』と精一杯手を叩きながら石原さんにエールを送っていたと聞きました」(施設関係者)

 

現在、俳優として第一線で活躍する石原。その輝きは本多さんにとって希望の光となっていることだろう。

出典元:

WEB女性自身

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