17年 第15回グッドエイジャー賞授賞式で 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代からあこがれている歌手の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。

 

岩崎宏美は’74年、中3のときに『スター誕生!』(’71〜’83年・日本テレビ系)に応募し、関東代表に。同年、全国大会に出場し、複数社のスカウトを受けて、’75年に高校生でデビューした。

 

「小学生のころから歌のレッスンを受けていたそうで、デビュー前からプロとして申しぶんのない歌唱力、声量、声の張りが評価されていました。当時、アイドルは歌もさることながら、メイクやファッションなどにかわいらしさが求められていましたが、岩崎宏美さんはストレートヘアで、ナチュラルメイク。アイドルとは打ち出し方が違っていたのも、歌の実力が圧倒的だったからでしょう」

 

そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。岩崎にとって最初のヒットは、セカンドシングル『ロマンス』(’75年)で、90万枚のセールスを記録した。

 

「’76年に『センチメンタル』が春のセンバツ高校野球の入場行進曲となるなど、歌手としての足場を確かなものにしていきます。富士重工(現・SUBARU)の車のCMソングだった『万華鏡』(’79年)には、当時オカルト・ブームだったこともあり、幽霊の声が入っていると噂されたりしました」

 

130万枚を超えるセールスとなった『聖母たちのララバイ』(’82年)は、『火曜サスペンス劇場』(’81〜’05年・日本テレビ系)の主題歌に採用された。

 

「この曲を聴くと“きっと犯人にも犯行にいたるだけの理由があったんだろうな”と、勝手な想像をしてしまうほど、切ない“火サス”と曲のイメージが結びついています。“歌が上手い歌手”はそれまでにも一定数いましたが、奥深い世界観、雰囲気まで作り上げることができる歌手は、現在でも希有な存在だといえるでしょう」

 

その表現力は、演技にも生かされた。

 

「『屋根の上のヴァイオリン弾き』(’86年)や『レ・ミゼラブル』(’87年)などの大作にも出演し、舞台経験が豊富です。そして、とくに印象に残っているのが『男女7人秋物語』(’87年・TBS系)で、明石家さんまさんの相手役をつとめたこと。意外な組み合わせに感じましたが、関西のラジオ番組ではコミカルなトークが評判だったようです。下町出身ですし、脚本家の鎌田敏夫さんが『性格にあったキャラクター設定をした』と語っていたことからも、役柄同様、気風のいい姉御肌だといわれていますね」

マーケティングライター、世代・トレンド評論家

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