小橋賢児氏の華麗なる転身!実家で寝たきり生活からパラ閉会式の総合演出に
画像を見る 挫折を乗り越えて華麗なる転身を遂げた小橋氏(写真:アフロ)

 

■「想定外のことばかり起こるのは旅と同じ」

 

三十路を機に再起を図った小橋氏はその後、映画やイベントを製作。’14年には、アメリカで出会った音楽フェスティバル『ULTRA MUSIC FESTIVAL』の日本版『ULTRA JAPAN』でクリエイティブディレクターを務めることとなった。同イベントは開催6年目となる’19年に累計動員数50万人を達成。彼の手腕によって、社会現象と呼べるほどの盛況を見せている。

 

現在、小橋氏はイベント事業などに携わる『The Human Miracle 株式会社』の代表取締役兼クリエイティブディレクターという肩書きを持つ。新型コロナの影響を受け降板することとなったが、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会主催の『東京2020 NIPPONフェスティバル』のクリエイティブディレクターにも就任していた。

 

そして、迎えたパラリンピックの閉会式。どん底で奮起した30歳から12年で、一躍“ときの人”となった。

 

「小橋さんは東京五輪が’20年に開催されることを楽しみにしていました。五輪を通して世界中から人が集まることで、日本人は多様な生き方や文化を一気に知ることができると考えていたためです」(スポーツ紙記者)

 

東京五輪を‘20年に開催することはできなかった。悔しい気持ちのいっぽうで、小橋氏は学ぶこともあったようだ。

 

「小橋さんは『想定外のことばかり起こるのは旅と同じ』といい、不安のなかでも臨機応変に自分を変化させていくことの大切さに気づいたといいます。旅を経て新たなステージに立つことができた、彼らしい“気づき”と言えるでしょう。そう学んだ後のパラリンピック閉会式は、いっそう感慨深いものがあったはずです」(前出・スポーツ紙記者)

 

挫折を乗り越えて華麗なる転身。コロナ禍でも偉業を成し遂げたいま、小橋氏は一際輝いている――。

出典元:

WEB女性自身

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