■“決まらぬ納骨”に母方親族たちの悲嘆
その存在があまりにも大きかったためだろうか。なんとか一歩一歩、前に進んでいる遺族がいるいっぽうで、いまも大きな喪失感に苦しんでいる親族たちもいる。
前出の埼玉県内に住む親戚女性は、次のように語った。
「結子が12歳のときに両親は離婚していますが、彼女のお母さんが3人の子供たちを連れて、(結子の)おばあちゃんが住む実家に帰ってきていたこともありました。結子はおばあちゃんになついていましたし、この土地は故郷ともいえる場所なのです。
一昨年の暮れごろのことでしたが、おばあちゃんの体の具合が悪いことを知らせると、結子は2人のお姉ちゃんといっしょに入院していた介護施設にお見舞いにきてくれました」
当時、竹内さんは第2子を妊娠中。祖母も赤ちゃんを産んだ竹内さんと会うことを楽しみにしていたが、その望みは永遠にかなわなくなった。
竹内さんの密葬には、中林と子供たちのほかは親族数人が参列したのみで、祖母など母方の親族は参列できなかった。それだけに気持ちの整理をつけるのも難しいようだ。親戚女性の声は沈んでおり、またいら立ちを隠さなかった。
「もうすぐ結子の一周忌になりますが、お墓をどうするとか、納骨をどうするとか、何も決まっていないのです。ご主人の中林さんのほうでは考えていらっしゃるのかもしれませんが……。
私たちもどうなるのか気になっています。離婚したとはいえ、結子の実父がそういったことを確認して、私たちに知らせてくれればいいのですが、昔からそういったことは全然しない方で……。
『まだお墓も決まっていないなんて、これでは結子が浮かばれない』と、おばあちゃんをはじめ、私たちも嘆いています」
実父の再婚後の家には“自分の居場所”を見つけられなかったという竹内さん。亡くなった後も、彼女の居場所は定まらないのか。竹内さんと中林の所属事務所に聞くと、次のようなコメントが寄せられた。
《中林は家族で話し合い、自宅供養をしております。大好きだったビールを供えているようです。納骨は家族で相談をし、時期が来たらと考えているそうです。家族で静かに一周忌を迎えられるよう、引き続き静かに見守っていただけますと幸いです》
“自宅供養”とは、自宅に遺骨を保管して供養すること。かつて竹内さんは、新聞のインタビューで“いちばんの喜び”について次のように語り、こぼれるような笑顔を見せたという。
《おいしいものを食べた瞬間。それと、仕事が終わった後に、自分のために冷やしておいたビールを飲む瞬間も。うーん、やっぱり食道楽なのかなあ》(『毎日新聞』’15年8月1日付)
遺した子供たちも夫・中林がしっかり守ってくれている。竹内さんには、少女時代の家族の悩みや、誰にも明かせなかった将来への不安も忘れ、いまはただ天国で、あの引き込まれるような笑みを浮かべ、ビールを楽しんでいてもらいたいーー。