■聖域を侵されると、女性の苦しみは大きい
聖域と表現しましたが、もちろん「どれくらい住んでいるか」「持ち家か賃貸か」で思い入れも変わっていきます。
ただ女性にとって家は、「自分や自分の家族が安らかに過ごす基地」としての役割を持っています。海老蔵さんは妻が亡くなって5年とはいえ、すでに自宅ではなく稽古場になっているとはいえ、はたから見たら「夫婦の基地」であり「聖域」であることには変わりません。
そこに真剣交際の末の再婚者があがるならまだしも、連日、別の女性と連れ込んでいたとあっては、嫌悪感を抱かせるのも当然のことです。
また一般的な不倫よりも、自宅に連れ込んで行った不倫のほうが女性にとってはショックや怒りを抱かせるというのも仕組みとしては同じです。
ただの不貞も許せないけれど、不倫相手に自宅という聖域に踏み込まれたという事実はよりいっそう妻としてのプライドを崩していきます。
また、夫というパートナーへの根本的な不信感も抱かせます。「この人は、自分の利のために聖域へ他人を踏み込ませる人」と思われたら、夫が妻の信用を再び積み上げるのは容易なことではないのです。
芸の素晴らしさとともに、人として“圧倒的にダメなところ”も披露することとなった市川海老蔵さん。将来は人間国宝ともささやかれています。ただ人間国宝ともなれば、人間性も求められるもの。欠点をカバーするほどの功績が求められる現状は、一歩引くと自分で自分をさらに苦しめているようにも見えます。
前出の関係を持ったという女性によると、海老蔵さんは何度も「愛していると言って」と要求していたそうです。どういう意図で発したのかはわかりません。愛に植えているのだとしたら、それが自分をさらに苦しい状況へと追い込んでいるわけです。なんとも彼が背負っている運命というのは皮肉だなと思わざるを得ません。
(文:おおしまりえ)