上島竜兵さん“信じる笑いの道を進め”有吉ら後輩に泣いて伝えた師匠・志村さんの教え
画像を見る 師匠・志村さんと上島さん

 

■40代から「竜兵会」を始めたのは志村さんへの恩返し

 

順風満帆に見えたが、上島は当時、マンネリ感に内心焦りを感じ始めていたと打ち明けている。

 

《そのうちドタバタやるようなお笑いがテレビの画面から消えていってね。30代の終わりごろには、なんか「新しいこともしなきゃいけないのかな」なんて漠然と思ってたんですよ》(『BIG tomorrow』’16年10月号)

 

前出の演芸関係者が続ける。

 

「そんなとき、友人のプロレスラー・川田利明さんから電話があり、“志村さんと一緒に飲んでいるからどうか”と。面識がなかった上島さんは『明朝早いから……』と断るも、志村さんが『俺も早いんだ。来いよ』と言われて初めて麻布十番の飲み屋で会ったといいます」

 

志村さんは、上島が抱える不安を言い当て、こう告げた。

 

「お前ら、最近ネタやってねえだろう。飛ばされたり、熱い、痛いとか、そんなのばっかりやっていて。じゃあ『バカ殿』のネタづくりやらせてやろうか」

 

その3日後には『バカ殿』の仕事が入っていたという。上島さんは「『バカ殿』で40代を突っ走れたようなもんですよ」と感謝の言葉を口にしている。志村さんの恩を返さんとばかりに、上島さんは動き出した。

 

《40代に入ってからかな。吉本の芸人なんかだと、番組が終わった後に「飯でも食いにいこうか」というノリがあるじゃないですか。そんなノリが東京の芸人にはないから、「毎週水曜、ラジオで生放送やってるから、ヒマな奴は遊びに来ない? ギャラ出ないけど、終わったら居酒屋でご馳走するから」と言ったら、まだヒマだった有吉弘行土田晃之劇団ひとりといった若手が来てくれるようになって》(『BIG tomorrow』’16年10月号)

 

これが「竜兵会」の始まりだ。東京・中野の韓国料理店オジャンドンの店主はこう振り返る。

 

「上島さんが飲むのは芋焼酎のロック。お気に入りはホルモン鍋で、後輩たちから『おい、上島!』と朝までイジられていました」

 

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