■「ドバイの仲間がこの病院を紹介してくれた」
「昨年末にはスペインに移って、ゆっくり過ごしていました。ただ、僕には寒い気候はやっぱり合わないと実感しましたね。乾燥は肌にも悪く影響しましたし。そもそもヨーロッパの気候も乾燥がひどいので、合わないんだなという実感です。この頃にマレーシアに帰る準備をしていました。
そして、対症療法ではなく、身体そのものを正常に戻すやり方を模索していました。
自分の病気は神経異常によることからの免疫疾患及び肝機能の低下なので、それであれば、体の中から全体の質を上げられる治療はないのか? ってことを調べ始めました。仲間たちにも相談したところ、ドバイの仲間がこの病院を紹介してくれたのです」
昨年9月にも、本誌は彼にメールインタビューを行っているが、その際、一時は死の淵をさまよったことを明かしていた。
「正直、死にかけたときのことは覚えていない。あとで丸一日意識がなかったとスタッフに聞いたよ。病院には入っていない。医師に来てもらってた。ただ、目が覚めたときは『まだ生きてた…』とは思ったよ」
そもそも、幼少期から神経系疾患に悩まされてきたことは、著書『自白』で明かしていた。
《10歳になったころ、僕は突然倒れてしまった。胃、内臓が激痛により、動けなくなった》
当時は原因がわからず感染症を疑われ、鉄格子のついた小児病棟に隔離されるという、過酷な体験をしたことを自ら綴っている。こうした持病に長年、苦しめられてきた彼に改めて、今回の活動休止中の心境を尋ねた。
「うーん、このまま症状が悪化すると、もう表には立てないのかもなってことは思ってました。焦ってるというよりは、表舞台から身を引く時なのかなとも考えました。自分の引き際というか……」
芸能界引退まで脳裏に浮かぶほど、心身ともに苦しい日々だったようだ。