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「婚約したころから、百恵さんの紹介で友和さんもウチの美容院に通うようになりました。彼女は芸能界から身を引く際、『これからも主人をよろしくお願いします』とわざわざお電話くださいました。同時に、店に来なくなりました。引退するから、ケジメをつけたんです」

 

’78年から結婚披露宴の翌日までヘアメークを務めた司さとし氏(74)は彼女の律義さをそう証言する。今年3月に初孫が生まれた三浦百恵さん(63)は’80年の三浦友和(70)との結婚、引退以降一度も表舞台に現れないものの今も変わらぬ人気を誇っている。『スター誕生』から50年、3000号に達した本誌も注目し続ける国民的スターの軌跡を振り返る。

 

〈登場におけるインパクトは、とても桜田淳子の比ではなく、後の百恵神話を予測させるものはほとんどなかった〉(『夢を食った男たち』/’93年6月発行)

 

’72年、『スター誕生!』(日本テレビ系)で初めて百恵さんを見た審査員の阿久悠は、強い印象を受けなかったという。淳子は番組史上最高の573点をたたき出していたが、百恵は329点と平凡な得点での合格だった。ホリプロの音楽ディレクターとして楽曲制作に携わっていた川瀬泰雄氏(74)が第一印象を思い出す。

 

「社内で初めて会ったとき、『地味だな』と思いました。ただ、とにかく一生懸命なコでした」

 

’73年5月発売のデビュー曲『としごろ』はオリコン最高37位と売れなかった。所属事務所であるホリプロダクション創業者の堀威夫氏は将来的には歌手より女優として売り出そうと考えた。

 

〈プロモーションに映画を組み込んでいたのは、デビュー当時はそれだけ歌唱力が弱かったためで、後年あれだけ歌唱力がつくとは当時、予想すらしなかった〉(『いつだって青春』/’92年11月発行)

 

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