“時政パパ”でブレイクの坂東彌十郎 歌舞伎界の大名跡巡り尾上松也と襲名争い
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■小栗は放送前から“父上”のブレイクを予言していた

 

「小栗さんは撮影現場で常に謙虚な彌十郎さんを『父上』と慕い、迫真の演技を目の当たりにして『(放送後)すごいことになります』と周囲にブレークを早々と予言していました」(制作関係者)

 

愛嬌ある役柄で、いまや「時政パパ」として視聴者から絶大な支持を受けている彌十郎だが、長年秘めている“夢”があるという。

 

「それは大名跡・守田勘彌の襲名なのです」(歌舞伎関係者)

 

“超遅咲き”の彌十郎は、実父の影響で歌舞伎界入りそのものに苦労をした経緯がある。

 

先の『徹子の部屋』で彌十郎は歌舞伎デビューが17歳と遅れた理由をこう語っている。

 

「父(坂東好太郎)が映画に行ってたのもありますけれども、歌舞伎へ戻ったころは僕はそのころから大きかったものですから、子役に出られる大きさじゃなかった。中途半端で大人の役ができる年まで待とうってなって……」

 

寸法が合う着物もなく、衣装屋さんに怒られることも。

 

「何人でひと組っていうような舞台の出方をしますと、演出の方に『そこのデカいの邪魔だ、端っこ行かっしゃい!』とか言われて、随分悔しい思いをしました」

 

歌舞伎一筋で生きていく決心をした彌十郎は、親戚筋の八代目坂東三津五郎の預かりに。

 

「しかし、その直後の’75年、三津五郎はフグ毒に当たって急死。続いて面倒を見てもらった十四代目守田勘彌も、また2カ月後に亡くなってしまったのです。『どういう運命なんだ!?』と自らの境遇を嘆くこともあったとか。

 

そのため、父親と一緒に山本富士子さんや杉良太郎さんらの商業演劇を回る日々が続きました。’83年にようやく、父親の尽力で市川猿翁の門下に入ったのです」(前出・歌舞伎関係者)

 

かわいがられた十八代目中村勘三郎一門の作品にも出演するようになり、歌舞伎界では知る人ぞ知る存在となったのだ。

 

「銀幕スターの父が名乗った坂東好太郎は、残念ながら歌舞伎界では“脇役”の名前です。

 

彌十郎さんは下積みが長く歌舞伎界に強い愛着を持っています。それだけに祖父・十三代目守田勘彌、そして弟子入りした十四代目勘彌への“恩返し”のためにも十五代目襲名へ意欲を示しているそうです」(別の歌舞伎関係者)

 

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