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「舞台って、楽屋のところに暖簾を掛けるんですよ。その暖簾が志村さんが作ってくれた暖簾で。志村さんが書いてくれた“心”っていう文字が真ん中にドン! ってあって、“相葉雅紀へ、志村けんより”っていう暖簾を使ってる」

 

7月1日深夜に放送されたラジオ番組『・相葉雅紀のレコメン! アラシリミックス』(文化放送)で、こう語ったのは相葉雅紀(39)。

 

12年ぶりの主演舞台『ようこそ、ミナト先生』が7月3日に千秋楽を迎えて、相葉は19日間の全日程を完遂した。

 

今回の舞台で“お守り”となった暖簾を相葉が志村けんさん(享年70)からもらった経緯について、演劇関係者はこう話す。

 

「17年前のこと。志村さんが相葉さんの舞台を見に行った際に、『暖簾はあるのか?』と尋ねたそうです。『ないです』と相葉さんが答えたところ『俺が作ってやるよ』と言って、のちに暖簾が贈られたといいます。演劇界で楽屋暖簾はお世話になった人から贈呈してもらう風習があります。

 

志村さんは同じデザインで色違いのものを上島竜兵さん(享年61)にも贈っており、本当に心を許した人にあげていたと聞いています」

 

’20年3月に逝去した志村けんさんと相葉の交流は長い。

 

「2人は『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)で、’04年4月から16年間共演していました。まだバラエティ経験が浅かった相葉さんが成長できるように開始当初からなにかと気にかけていたそうです」(テレビ局関係者)

 

プライベートでも2人は時間を共にしていたとテレビ局関係者は続ける。

 

「志村さんは収録後、相葉さんをよく飲みに連れていっていましたね。ただ相葉さんのことを考えて志村さんがよく行っていた若い女性がいるお店に連れていくことはなかったといいます。また嵐のライブに足を運んだり、ゴルフも一緒にしたりしていました」

 

暖簾に記された志村さん自筆の“心”には、どんな思いが込められていたのかーー。

 

「以前、志村さんは『つらかったことや悔しかったことはたくさんあった。でも、最後は自分しかいない、最後の頼りは自分だけ、という信念みたいなものがあったからこそ、頑張ってこられた』と語っていました。

 

暖簾の“心”は、同じ表現者として、自分の心をなによりも大切にして進んでいくことが重要だと相葉さんに伝えたかったのではないでしょうか。

 

舞台に出演する機会がなかったため12年ぶりに暖簾を使用し、相葉さんは心新たに教えを再確認したといいます」(芸能関係者)

 

相葉は志村さんからの“芸の遺言”を心に歩み続ける。

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