住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中なったアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。
「小学生のころからモデルとして活躍していた宮沢りえさんを、一躍スターダムに押し上げたのは、’87年に放送された三井のリハウスのCMです。オランダ人の父を持ち、スタイルも顔立ちもお人形さんのよう。若さにあふれており、きわめて’90年代的な表現ですが、まさに“ピチピチ”のかわいい女性でした」
こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。
そんな宮沢りえは、映画『ぼくらの七日間戦争』(’88年)で映画初主演後、『青春オーロラ・スピン スワンの涙』(’89年、フジテレビ系)で連ドラ主演、小室哲哉プロデュースの『ドリームラッシュ』(’89年)で歌手デビューを果たすなど、きわめて順風満帆。
「普通なら、このままドラマやバラエティ番組への出演を続けて人気を安定させるところですが、’90年のカレンダーで、大胆な“ふんどしルック”を披露しました」
“りえママ”こと、母・光子さんのプロデュース力もあり、人気絶頂の18歳で、ヘアヌード写真集『Santa Fe』(’91年、朝日出版社)を発表。つねに話題を提供し続けた。
「裁判にもなった大島渚監督の『愛のコリーダ』(’76年)以来、ヌードが“わいせつか芸術か”をめぐっては、規制当局とアーティストのせめぎ合いが続いていました。その先頭に立っていた篠山紀信さんは、’91年に樋口可南子さんの写真集で、ヘアヌードを事実上の解禁へと導き、『Santa Fe』も150万部を超えるベストセラーに。ヘアヌードは社会現象と言われるほどになりました」
■90年代初め、話題はいつも“宮沢りえ”だった
長年の論争に終止符が打たれるほどの衝撃を与えた宮沢は、’92年、超人気力士・貴花田と婚約を発表。
「日本を代表するアイドルが、相撲部屋のおかみさんになるなど、誰も予想しなかったはず。それからわずか2カ月後に、婚約解消を発表したことにも驚きました」
出演映画の降板騒ぎもあり、精神面を心配する声も聞こえていた。
「当時の常識では、婚約解消された女性に対してネガティブなイメージを持つ人も多かったはず。女性タレントにとっては、致命的なスキャンダルともいえました」
しかし、こうした古い常識を打ち破ったのもまた、宮沢自身。
「’94年、タカラCanチューハイのCMでの『すったもんだがありました』というセリフで、過去のできごとを笑い話に。その後も話題作に出演し、着実にキャリアアップしていきます。この強さは、日本の女性の生き方にも強く影響を与えたはずです」
【PROFILE】
牛窪恵
’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍