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「昨年11月からの歌舞伎座の襲名披露興行では口上に2カ月出演予定だった白鸚さんが体調不良で早々に降板。仁左衛門さんには不倫報道が出るなどトラブルが続いていました。実は昨年末もまた騒動があったんです」(梨園関係者)

 

1月6日からは東京・新橋演舞場で十三代目市川團十郎白猿襲名記念プログラム『SANEMORI』に出演中の市川團十郎(45)だが、昨年末にいったい何がーー。

 

「昨年12月の襲名披露興行では團十郎さんの長男・勸玄くんも市川新之助を襲名し、昼の部の『毛抜』では主役を務めていました。12月22日、その『毛抜』に八剣数馬役で出演していた中村歌昇さんが楽屋入りの時間に遅れてしまったんです。出番に間に合う時間に着いたのですが、“息子の晴れ舞台を乱した”と團十郎さんが頑として彼の出演を認めなかったそうです」(前出・梨園関係者)

 

そして、遅刻のペナルティはその日だけで終わらなかったという。

 

「團十郎さんは翌日以降の歌昇さんの出演に対しても首を縦に振らなかったそうです。結局、歌昇さんは3日間出演できず、多くの歌舞伎役者が、“過剰”処分に戸惑っていました」(前出・梨園関係者)

 

12月25日、松竹は3日間休演した歌昇に関し《本日より舞台に復帰いたします》と発表するも休演の理由は記されてはいなかった。團十郎は遅刻に厳しい理由をインタビューで以前こう語っている。

 

《時間にはきちんとしなさいという父でしたから心がけていました。舞台ですから遅れるわけにはいかない。本番の開演が遅れるのはもちろんのこと、稽古にしても遅れてはいけないぞという教育でした》(『Numero Tokyo』’17年3月号)

 

亡き父から受け継いだ團十郎の襲名披露ゆえ、遅刻は絶対に許せなかったのだろうか。松竹は本誌の取材に対して、こう回答した。

 

「歌昇が遅刻したのは事実です。團十郎は関わらず、松竹の判断で3日間、謹慎処分にいたしました」

 

前出の梨園関係者は嘆く。

 

「当の團十郎も’04年7月、自らの海老蔵襲名を記念して天満橋駅でおこなわれた貸切列車『海老蔵号』の出発セレモニーに遅刻したことがあります。テープカットイベントは本人不在でした。“渋滞に巻き込まれた”と説明した本人は出発1分前、ギリギリで貸切列車に間に合ったのですが、前夜は緊張して眠れず渋谷のサウナで寝過ごしてしまったそうです。

 

確かに遅刻は駄目ですが、梨園最高峰の十三代目には寛大な心も必要でしょう。襲名披露興行は来秋まで続きますが、團十郎一人でできるものではありません。これ以上、彼と共演したいと思う役者が減らないといいのですが……」

 

團十郎が梨園を「独裁化」しないことを願うばかりだ。

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