■「家族で住めるのが本当にうれしかった」
伊藤家の知人は言う。
「沙莉さんは3きょうだいの末っ子で、もともと彼女の父親は道路関係の会社を経営していて、多くの外国人を雇っていました。母親は塗装の職人で、現場には自前の軽トラで向かっていたそうです。
ですが、彼女が2歳のときにバブル崩壊の煽りを受けて父親の会社は倒産。両親は離婚し、父親は蒸発して一家離散となってしまったんです」
その当時のエピソードは、伊藤の兄で芸人のオズワルド・伊藤俊介(33)も’21年9月2日に配信されたYouTubeチャンネル「納言幸のやさぐれ酒場」でこう語っていた。
「俊介さんによれば、自宅がなくなったことで沙莉さんは母親の姉が3カ月ほど引き取ることになり、俊介さんともう一人の妹は、彼の友人宅へ居候。母親はしばらく軽トラで生活せざるをえなくなったそうです。『沙莉が体弱くて入院したのもあって、なかなか家族がそろうことはなかった』と話していました。その後、伯母夫妻の家に家族4人で身を寄せるも、伯母の離婚で、伯母含め5人でアパートに移り住んだとか。
家に帰って電気をつけると大量のゴキブリが出るような部屋で『俺と沙莉は、そのトラウマでいまだに虫がダメ』と嘆いていました」(前出・伊藤家の知人)
伊藤は前出の『人生最高レストラン』でこう語っている。
「かなりボロボロのアパートだったんですよ。でも、何より家族で住めるのが本当にうれしかったんです。布団3枚で家族5人で寝る感じでした」
別のインタビューで、彼女はこうも語っている。
《ゴキブリが出るような家に住んでいたことがあって、団地に引っ越した時、私は“お城だ”と言ったんです。お母さんからは“どんなにいい家に住むようになっても、ここが豪邸に見えた気持ちだけは忘れないで”と言われて育ちました》(『日刊スポーツ』’20年11月15日付)